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2017-05-11

下町散歩 三ノ輪から谷中

10日は ← 2017年5月
山の会の街歩きに参加 ← 女性7名 男性4名
東京の下町を歩きました

集合: 日比谷線三ノ輪駅3番口 ← 大関横町交差点側
解散: JR日暮里駅

立ち寄った箇所は

都電荒川線・三ノ輪橋停留場 荒川区南千住1-12
浄閑寺 荒川区南千住2-1-12
目黄不動尊 台東区三ノ輪2-14-5 めきふどう
飛不動尊 台東区竜泉3-11-11 とびふどう
一葉記念館 台東区竜泉3-18-4
鷲神社 台東区千束3-18-7 おおとり
池波正太郎記念文庫 台東区西浅草 中央図書館内
小野照崎神社 台東区下谷2-13-14 おのてるさき
子規庵 台東区根岸2-5-11
上野恩賜公園 台東区上野公園 台東区池之端3丁目
旧吉田屋酒店 台東区上野桜木2-10-6
谷中霊園 台東区谷中7-5-24 やなか

歩いた時間は 10:00 ~ 15:30

そのほか手許に写真のあった箇所も加えてあります

三ノ輪駅へは私は
つくばエクスプレス(TX)の南千住駅から歩きます
南千住駅は常磐線も日比谷線も利用できますが
乗り換えの都合で今は専らつくばエクスプレス
上野も谷中も南千住駅から歩くとお金が助かる ♪

TX南千住駅の西口を出て車道を渡ると小塚原の史跡
車道を渡らず浅草方面へ南下すると泪橋交差点
泪橋(なみだばし)は品川区にもあったそうです
荒川区には小塚原の刑場跡
品川区には鈴ヶ森の刑場跡
写真は小塚原の史跡と泪橋交差点


小塚原の史跡を離れ
浅草方面へは行かず常磐線沿いを西へ向かうと
あるいは南千住仲通りを西へ向かうと ← 1点目
日光街道(国道4号)に出ます
南千住駅から歩く時は日光街道を渡る前に浄閑寺へ
浄閑寺には境内に
新吉原総霊塔 ← 2点目
ひまわり地蔵尊 ← 3点目
などがあります


浄閑寺の近隣です
下町は花が多い


浄閑寺からは
日光街道を渡り都電荒川線の三ノ輪橋停留場へ
浄閑寺からスグですが交通量の多い国道を渡る前に
誰かに聞いたほうが早いです
荒川線は『東京に残る唯一の都電』
私の中学時代は12系統の都電で通学
荒川線は27系統の王子駅前までと32系統を統合
1点目は三ノ輪橋停留場のバラ
2、3点目は王子駅前停留場~飛鳥山停留所の途中
飛鳥山公園には旧渋沢庭園と渋沢史料館があります


荒川線には乗らず
三ノ輪駅最寄りの大関横町交差点に戻り
国際通りに沿って裏通りを浅草方面へ南下すると
一葉記念館(右)と一葉記念公園があります


一葉記念館から東寄りに南下すると吉原(新吉原)
吉原は現在の台東区千束4丁目と3丁目の一部
写真は吉原の今の一角


一葉記念館から西寄りに南下すると飛不動尊
飛不動尊は旅人の守り本尊
飛不動尊も入谷鬼子母神も下谷七福神の札所
七福神はほかに
谷中七福神 ← 不忍弁天堂が含まれます
浅草名所七福神 ← 浅草寺や鷲神社など
写真は2点とも飛不動尊


裏通りから国際通りに出ると浅草・鷲神社
4、5点目は酉ノ市 ← 2010年11月19日の画像


鷲神社からは南側に迂回して区立中央図書館へ
中央図書館には池波正太郎記念文庫があります
かっぱ橋道具街の通りに面しているので
料理通は道具街も見逃せない筈
私はコンビニ一筋なので遠くから眺めるだけに
写真は区立中央図書館の正面


中央図書館からは方向を転じて
言問通りを西へ ← 読みは『こととい』
通りの南側に入谷鬼子母神があります
朝顔まつりでは言問通りの一部が通行止めに
写真は2014年7月6日


鬼子母神へは朝顔まつりに出かけることにして
今回は根岸3丁目交差点から東寄りの小野照崎神社へ
境内に『下谷坂本の富士塚』があります ← 2点目
富士山がアルと
山の会としては覗かない訳には行かないです


昼食はお豆腐御膳


午後の最初は子規庵です
昔の家屋は寛げます
幼い頃に住んだ家屋が私には理想


少し南に戻り
鶯谷駅の南側の陸橋を渡り


上野公園を経て旧吉田屋酒店、さらに谷中へ
写真は上野公園内の
旧東京音楽学校奏楽堂 ← 現在改修工事中
正岡子規記念球場


旧吉田屋酒店の一斗瓶です
一升瓶の十倍が一斗瓶
一斗瓶だと若い頃の晩酌20日分
気持ちが大きくなって
チョット飲みすぎになったかも


谷中霊園では徳川慶喜墓所へ
家族も一緒に埋葬されているそうです


松戸駅東口から南へ10分ほど歩き ← 千葉県
坂道を上りきると戸定ヶ丘歴史公園があります
戸定の読みは『とじょう』
戸定ヶ丘歴史公園は ← 道は狭いですが駐車場あり
徳川昭武が建てた戸定邸と周囲の緑地
徳川昭武の実子武定が1951年に松戸市に寄贈
徳川昭武は徳川慶喜の異母弟です
1867年のパリ万国博覧会では将軍の名代として渡仏
昭武はその後も幕府代表として欧州各国を訪問
万博使節団には渋沢栄一も ← 昭武の歴訪にも随行
歴訪後、昭武はパリで留学生活
などの資料が戸定歴史館にあります

1867年11月 将軍慶喜が大政奉還
1868年01月 江戸幕府廃止、天皇親政の宣言
1868年07月 新政府が徳川昭武に帰国命令

連休の先日は渋滞を避け戸定邸へ ← 3度目
やはり昔の家屋は落ち着きます


谷中霊園からは日暮里駅に出て谷根千へ
ヤネセンは谷中と根津と千駄木
山ノ手に属するそうですが私には下町そのもの

谷中との出合いは昭和20年代の祖父の葬儀
その後の50年は長い空白
父の葬儀で二度目の訪問
その折、母が古く小さなお墓へ案内
1922年 母の兄 急性肺炎で死亡 9歳
1923年 大正関東地震
1924年 母の姉 髄膜炎で死亡 7歳
父の葬儀から18年後に母の葬儀

両親はいつも笑顔
今も私と一緒です
仏壇もお墓も必要ないです (笑)

画像は谷中
順に
2004年3月
2007年8月 お寺の梅干し作り ← 境内に古い梅の樹
最近の谷中銀座界隈


そのほか

根津神社のつつじ苑
根津神社は『文京つつじまつり』の会場
2011年4月19日の画像


下町には緑が多い


浅草寺


隅田公園
右岸は台東区 左岸は墨田区


神田川の柳橋
浅草橋からの眺め





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