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2015-09-21

介護メモ 2015年秋

会津駒ヶ岳の草もみじ

9月19日は秋の連休初日 ← 2015年
介護に連休は関係なく私はイツモ通りの週末日程
渋滞が心配でしたが会津駒ヶ岳へ ← 遠い

麓は晴れ
蒸し暑く歩き始めは半袖
水場分岐の先から霧雨
木道脇の見晴らし所で雨着に
駒ノ大池のベンチではフードから雨の雫
震えている薄着の人も
下山途中から霧が薄れ
麓は晴れ

歩いた時刻は
08:15 登山口に近い駐車場は満車のため少し下から
08:25 滝沢登山口
10:40 駒ノ小屋
11:00 会津駒ヶ岳の山頂

 山頂は寒く服も濡れていたのに
 一人歩きのシニア二人と長~~い会話(笑)
 時間を潰したのと木道が滑ったので中門岳は省略

12:00 駒ノ小屋
13:45 滝沢登山口

歩いた時間の比較
残雪歩きを除く
左から 滝沢口⇒山頂 山頂⇒中門岳終点 復路
11年08月 2時間40分 55分 3時間40分
12年10月 2時間30分 40分 2時間50分
13年09月 2時間20分 35分 2時間50分
14年08月 2時間20分 45分 2時間45分
15年07月 2時間20分 40分 2時間55分
15年09月 2時間35分 **分 2時間45分 ← 今回
**は立ち寄らず

総時間
残雪歩きを除く
11年08月 7時間15分 ← 帰路も山頂を経由
12年10月 6時間00分 ← 帰路も山頂を経由
13年09月 5時間45分
14年08月 5時間50分 ← 帰路も山頂を経由
15年07月 5時間55分
15年09月 5時間20分 ← 中門岳へは行かず

写真は撮った順です


 上手に駒ノ小屋

 山頂への木道

 山頂の標柱

 帰路

 駒ノ大池

 さらに下山

 

 

 

 

 着替えた見晴らし所

 

 

 霧が薄れ

 再び青空


山の湿原



介護メモ

母の介護は
要介護認定を申請したのが2008年11月
翌月に母は右大腿骨頸部骨折
母の退院後は私が母の家で寝起き
2009年01月に要介護3 ← 最初の認定
2009年11月に要介護5
2011年02月に身障者1級

2012年4月に私はガンの臓器全摘手術
退院後も母の介護を継続

現在 ← 2015年9月
私の単身赴任型在宅介護は7年近く
父の晩年から通算するとモット長い ← 働きながら
先日、運転免許更新に必要な
高齢者講習の通知が届きました
マゴマゴすると私も父が逝った歳に

母は手足の拘縮が進み
車椅子への移乗が困難
ストレッチャーに頼ると文字通りの寝たきりに
車椅子も助手席も母にとっては
緊張と刺激の宝庫、豊かさの源泉の一つ

母は車椅子に坐れば唾液と痰を飲み下せます
横たわった姿勢ではソレができない
ベッドでは
口腔湿潤ジェルを使って口内の粘りを緩め
歯磨きティシューで拭い口内の清潔を維持
ジェルはフルーツティー風味 ← 紅茶風味
その甘い香りを口全体で味わっています

半年前から吸引器を使用 ← ポータブル式
吸引器を購入したのは2014年3月ですが
一年ほど寝かせていました
吸引器は週末の我が家への移動時も携行

皮膚疾患は
顔、腕、尻、足など各部位に入れ代わり立ち代わり
頻繁に体位を変え
移乗も続けているので床ずれは免れています

水様便は今も日に1~3回 ← そのつど洗浄
尿量も多く
深夜も未明もパッドを交換
睡魔が離れず
目が覚めるのに半時間もかかることが

動脈血酸素飽和度は98~99%を維持
血圧の変動は大丈夫の範囲
胆管の石も今は静か ← 不安材料

飲み薬は3通りを継続
胃痛や腹痛を和らげる薬
胃酸の分泌を抑える薬
便を軟らかくする薬

軟膏は7種
アズノール、リンデロン、ゲンタシン、ベギンなど
ロコイドを除いて頻繁に使用

皮膚に貼るレプリケアライトとオプサイトは
剥がすのが困難になり現在は滅菌パッドを工夫して

今年6月に蜂窩織炎(ほうかしきえん)
左指から始まり両腕に拡散
19日から抗生剤を一週間服用
治癒後の7月に入り
右指から両腕に再発
8日から抗生剤を一週間服用
炎症は消えましたが頑固な便秘に ← 抗生剤の影響
私は暫くオロオロ
今は便秘も私一人で対処可能に

入院は2013年が最後 ← 高熱
2013年1月 胆のう炎による入院
2013年6月 嘔吐から誤嚥性肺炎による入院
2013年9月 急性化膿性胆管炎による入院
その後は2年ほど入院も治療のための通院も不要に
半年に一度のPEGの更新は半日帰り

PEGは1日当たり 栄養液 600ml 微温水 600ml
微温水は蒸し暑い季節は増やすことも
長年かけて栄養液を減らしたことで
体重が安定、内臓の変調も回避

在宅は母の願い

施設では排便が減るかなくなり
家に帰ると翌日にかけ
紙オムツから染みだすほど大量の便を2度も3度も

お願いしている在宅介護サービスは
月2回の往診 ← 医師と看護師
毎月曜と隔週金曜の訪問看護
毎月曜と隔週水木の医療マッサージ
隔週水曜の訪問入浴

お願いしている医療機関と介護施設は
かかりつけ病院は母の近所
隔週火曜のデイサービスは少し距離
隔週火曜~金曜のショートステイは隣の市
およびケアマネさんの強力な支援

入退院は福祉タクシーを利用 ← 以前は私の車
一時は外来時も福祉タクシーに切り替えましたが
今は外来時は私の助手席に戻しています
自分の車だと時間に縛られないので気持ちがラク
車椅子に坐って眺める院内は母にも刺激に

介護ベッドと車椅子2種はレンタル

介護の消耗品は大量に必要です
化粧箱単位では間に合わずネット通販で外箱単位
カテーテル用シリンジと吸引カテーテルもネットで

母の家の寝室は天井に雨漏りのシミ
各室のカーテンは触れるとボロボロ ← 古い
浴槽はひび割れ ← シャワーのみ可

カミサン姉妹は母親を通いで介助
私の食事は専ら生協の冷凍弁当
週末のカミサンの手料理が救い
飲酒も週末の晩酌限定 ← 昔は多品種多頻度多量型

母の家のガスレンジはボロボロ ← 使用中止
ニンジンもキュウリもそのままガリガリ
電子レンジは昭和46年の日立製 ← 今も現役

調理する気持ちが私は皆無
どこかで手抜きしないと私が潰れる

毎週末は早朝に我が家へ移動
母をカミサンに託して私は山へ
夕刻に我が家に戻り
日曜の午前に母の家へ

我が家への往復時は
母の介護用品で後部座席は満杯
荷物置き場は車椅子専用
登山ザックと登山靴と
汗まみれの衣服は邪魔モノ扱い

癌も介護も
ウシロは向かずヒタスラ前へ
生きている限り力を尽くす
その先には
ウンザリするほどナガイ眠り (笑)

2005年4月から乗った第2世代のプリウスは
4年で買い変えました ← 135,000km走行
買い替え時も車は順調かつ快適でしたが
ウェルキャブ仕様の助手席に深刻な困難

2009年7月から乗っている第3世代のプリウスは
19日で200,000km走行
落石の自損事故部品の老朽化に出遭ったほかは
前の車同様順調かつ快適
今のウェルキャブ仕様の助手席は私の介護に不可欠

移乗は簡単にヒョイと行くとよいのですが
ベッドから折り畳み式車椅子へと
折り畳み式車椅子から助手席へと
助手席から折り畳み式車椅子へと
ベッドからリクライニング式車椅子へが大変
それでも寝たきりにさせたくないので緊張しながら

リクライニング式車椅子は大きく重く
移動には施設の送迎車か福祉タクシーが必要

拘縮が両腕、両手、両脚、爪先の形を変え
油断すると車の床と助手席の間に
ずり落ちた爪先が挟まって極めて危険
捻じれた腕は腰に敷きこんでしまう恐れ
そこで移乗時は車椅子の
ゴツゴツした部分にタオルを当て ← 皮膚が弱い
動作ひとつごとに母の状態を確認
特に四肢からは絶対に目を離さず

助手席またはリクライニング式車椅子への移乗後は
頭の揺れを防ぐため児童の枕を首の後ろに差し込み
さらにクッションを数ヶ所宛がい
体が傾くのを防いでいます

移乗時は
その旨を伝え ← 不安の表情
励まし ← 緊張も伝わってきます
姿勢の修正を伝え ← 解かると思っています
感謝の声かけ ← 感謝するのは私のほう

夜中になると ← 昼と夜が入れ替わっています
母の話し声が聞こえてきます
笑い声が混じることも
聞き取りは困難ですが
父と話しているのです
母の家の母のベッドが母には一番


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