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2014-05-11

軍畑駅から高水三山

10日は ← 2014年5月
軍畑駅から高水三山へ

高水山 たかみずさん 759m
岩茸石山 いわたけいしやま 793m
惣岳山 そうがくさん 756m

軍畑駅 いくさばたえき 240m?
御嶽駅 みたけえき 240m?

平溝 ひらみぞ
高源寺 こうげんじ
成木 なりき
常福院 じょうふくいん

10日は母を私の家に移して ← 毎週末の行事
私は6日同様電車を利用 ← 車の修理は13日
中央線に乗ったのは何年ぶりだろう

毎週末は母を母の家から我が家へ移動 ← 1泊2日
父が亡くなってからの母は
私の家を実家と呼んでいます
私は毎週末2時に起床、母を世話して ← 全介助
4時に私の車へ
施設へはリクライニング式車椅子ですが
リクライニング式は私の車に入らず
折り畳み式で助手席へ移乗 ← 助手席は介護仕様
車に入る介護用品はすべて積み込み
介護ベッドはカミサンが工夫

母は2008年12月に大腿骨頸部骨折
救急病院で手術
3週間後にリハビリ病院に転院 ← 系列病院
6週間後に退院
その間、急速に食欲が失われ
地元の病院で胃ろうを選択 ← 病院は中規模
神田が故郷だった母は戦時中から
都心の大規模な病院でしたが ← 長子の出産も
要介護以降かかりつけ病院を地元に変更

骨折は手術後も自力で立てず
認知症が進み会話も困難
それでも寝たきりにはさせなかった

母の介護は
今も訪問ヘルパーさんは頼まず
介護保険扱いの往診が月に2回 ← 第2第4木曜
毎週月曜は訪問看護 ← 祝休
隔週水曜は訪問入浴 ← 全身を点検するよい機会
腕と足の拘縮が進むと移動が困難になるため
毎週月曜と隔週水木は訪問医療マッサージ ← 祝休
隔週火金はデイサービス ← 多くの人が母に声かけ
および隔週4日のショートステイを利用しながら
寝たきりとは一線を画した晩年を送っています
支えは胃ろうと家族 ← 両者の『コラボ』
家族だけでは生命を維持できない
胃ろうだけでは家族の温もりを持続できない
当初はパニックの連続だった私の介護も
今はプロ並み ← 周囲の評

肺ガン末期の父は治療方針を我々兄弟に委ねました
父の晩年の願いは『自分の家で母さんと一緒に』
意識が薄れ ← 救急車でかかりつけ病院へ
亡くなる一週間前まで父は自分の家で母と一緒に

父が亡くなってからの母の願いも『家で家族と』
まだ認知症が現われていなかった母が ← 父の死後
偶然ホームの庭先を横切ったとき
入所の下見と誤解
怯えてしまって胸が痛んだ

治療法は何がよいか判りませんが ← 自分のガンも
母の願いはあまりに明解
その願いを介護を重ねた今の私は
叶えることができるように

昨日は母を移して私は山へ ← 今回は電車

軍畑駅は半世紀以上前に下車した記憶

歩いた経路は
軍畑駅を出て線路沿いを少し戻り
→ 踏切を渡り舗装路を下ると車道
→ 左折して車道を道なりに進み ← 緩い上り
→ 平溝橋を渡る手前の分岐は左 ← 平溝川沿いへ
→ 高源寺の門前下の分岐は右
→ 高源寺を右に見てさらに舗装路を辿り
→ 舗装の切れる箇所から登山道
→ ジグザグに斜面を上り尾根筋に出て暫く歩き
→ 上成木からの山道と合流
→ 常福院を経由
→ 高水山の山頂
→ 岩茸石山の山頂 ← 眺めよい
→ 惣岳山の山頂
→ 沢井駅方面分岐 ← 沢井駅への道を左に分け
→ 慈恩寺の脇
→ 上分踏切を渡って御嶽駅へ ← 上分は読み不明

各所に道標
軍畑駅も御嶽駅も駅近くでは道標を見落としたかも

歩いた時刻は
07:40 軍畑駅
07:50 平溝橋を渡る手前の分岐
08:00 高源寺の門前
08:35 上成木方面分岐
08:40 常福院
08:50 高水山の山頂
09:10 岩茸石山の山頂
09:40 惣岳山の山頂
10:10 沢井駅方面分岐
10:35 御嶽駅 ← 10:43の青梅行に乗車

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 青梅線の軍畑踏切

 先ず高水山を目指して

 緑が綺麗

 常福院

 左裏手から高水山の山頂へ

 次いで岩茸石山の山頂

 眺めがよかった

 

 山頂から下りは一部ゴツゴツ

 惣岳山への道にて

 惣岳山山頂からの下り

 

 沢井駅方面分岐付近

 御嶽駅はまだ20分ほど先

 上分踏切



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