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2013-01-31

ジェット機 蓼科山

1月30日は蓼科山へ ← 2013年

蓼科山 たてしなやま 2530m

白樺高原国際スキー場の
ゴンドラリフト山頂駅から将軍平を経て

白樺高原国際スキー場ゴンドラリフト ← 冬の名前
蓼科牧場ゴンドラリフト← 夏の名前
山頂駅は標高1826m

蓼科山へは
2011年2月23日
すずらん峠園地駐車場から山頂往復
2011年3月30日
白樺高原国際スキー場の山頂駅から将軍平まで

1月の雪質と
将軍平から先の様子がわからないので
冬靴は当然として今回は
ストックと
スノーシューと
12本爪アイゼンと
ピッケル持参
さながらナナツ道具を背負った弁慶
ところが ……

山頂部を除いて ← 山頂部はサラサラの踏み跡
湿り気味の踏み跡が深くハッキリ
ズボ!がゼロではなかったですが
冬靴とストックを除けば
ナナツ道具は無用の長物 ← バッカみたい

山頂部は強風 ← 将軍平から容易に判明
高所恐怖症に強風が加わると私はまるでダメ
さらにナナツ道具でグッタリ
退院後ショートステイに出た母も気がかり
オマケに白樺高原は私には随分遠方
距離はともかく首都高を抜けるのに時間を浪費
暗くなって何かあると ← 母は90歳代
間に合わないので ← 明るい時間はカミサンが対応
山頂を踏まずに踝(くびす)を返した(笑)

実際に歩いた時間は4時間程度
登山カードの提出は任意でしたが
念のため持参の用紙を券売所の窓口に

大きい画像は
写真をクリック → Actions → View all sizes


 七合目を過ぎた辺り

 雪質は湿り気味

 天狗ノ露地から 霞み気味

 将軍平の蓼科山荘

 ココで上っ張りを着ました

 山頂は手前方向 ← 勾配が急に

 森林限界付近から

 下方に将軍平

 森林を抜けると強風

 山頂への踏み跡は ← 写真左上

 風に飛ばされたサラサラの粉雪

 手を振ったのに …… 知らん顔



2011年02月23日の蓼科山




介護メモ

神田育ちの母はかかりつけの病院を
学齢期はA病院に、結婚してからはB病院に
疎開時と戦後暫くを除き
再びB病院に決めていました
A病院は千代田区内、B病院は中央区内
いずれも大規模
父が息を引き取ったのもB病院


 B病院関連ビル 母は中央奥


昭和32年から私は十数年間、両親はもっと長い間
神田に住んで通い慣れていたのです
但し私は家近くの開業医に ← 当時の我が家は問屋
中学時代から不惑まで年に一、二度
再発した持病は痛みがひどく
すぐ処置する必要から ← 昔は三大疝痛の一つとか
結婚して転居後も大病院へは出向かず
地元の開業医に駆け込むことに

私は昨年の手術前まで「ご近所」一筋
昨年私が手術した病院も ← 母の地元の大きな病院
母の市内で私が見つけた ← デイの施設近く
開業医の紹介でした

母が大腿骨頸部を折ったときは ← 意識も混濁
救急隊員から急いだほうがよいと言われ
受け入れ可能だった病院二ヶ所の ← 私は知識ナシ
一つがすぐ処置できるとの返事 ← 搬送を依頼
母は手術後、系列のリハビリ病院へ転院
その頃からケアマネさんに相談 ← 凄い戦力
母の市内でかかりつけ病院を選択 ← 中規模
さらにデイサービスの施設探し
たまたま機械浴が可能な真新しい施設が一箇所
建物も内部もピカピカで
静まり返った広いフロアに
僅か七、八人とはなんとも贅沢 ← 今の様子は不明
当時の私は理想的だと …………

デイに通う前に母は衰弱
最初の予約日の一週間前にかかりつけ病院を訪れ
その場で入院、胃ろうで衰弱を克服、退院するも
契約を済ませておいたデイの施設では対応できず
改めてケアマネさんから
昼は看護師が常駐
行事も人の出入りも活発な別の施設を紹介され
デイの利用を契約しました ← 現在も継続

ショートステイの施設は夜も看護師常駐
探し始めた当時は母の市内に空きがなく
隣の市内の施設と契約 ← 現在も継続

胃ろうのチューブ交換は半年に一度
同一サイクルで胆のう炎・胆管炎か尿路感染症
入院期間は一週間から三週間

入院中の母は眠りヒメに ← 反応も言葉も希薄に
入院を繰り返すごとに希薄化が昂進
退院のため車椅子に移すと母は覚醒

今回の退院は
翌週前半まで遅らせることが可能でしたが
早い方がよいと考え週末を選択 ← 1月26日土曜
なので毎週末の我が家への移動は一回見送り
日曜は様子見 ← 今回の土日はカミサンが母の家に
月曜に訪問看護と医療マッサージを再開
大丈夫そうなので1月29日から2月1日まで
入院前の予定通りショートステイへ

外来診療も入退院も
福祉タクシーではなく私の車で

母の家では私は一人
人目がないので ← 寝巻でも立ち食いでも勝手放題
訪問介護をお願いするよりずっと気楽

呼び鈴が壊れているだけでなく
介護中は応対するのも面倒なので
医療関係者と介護関係者は出入り自由に
来客は空気の動きで察知できます

往診、訪問看護、訪問入浴、医療マッサージは継続

訪問入浴は隔週水曜 ← 看護師が洗ってくれます
医療マッサージは毎週月曜と隔週水木 ← 祝日休み
往診は介護保険の別枠で隔週木曜 ← 月二回まで
訪問看護は毎週月曜 ← 祝日休み

母に必要な手当てと薬は ← 軟膏10種、飲み薬3種
私も大概憶えてしまい ← ジェネリックの名も暗記
訪問看護では母の観察と ← 褥瘡は今までゼロ
母に必要な諸々を ← 様々な皮膚疾患も現在はゼロ
私が学ぶ場になっています ← ストレス軽減策の一

訪問看護は24時間対応
ですが深夜の受話器からは
眠りを破られる痛みも伝わってきます
一方、母の急変時は
結局は医師に診てもらうことになりますので
夜間や休日は訪問看護を経由せず
私が病院に電話して直接指示を仰ぐことに

何かあればカミサンにも連絡しますが
カミサンも準備やら何やらで
応援に来られるのは早くて二時間
渋滞時は半日がかり
遠方の義母を介助中は
カミサンはまったく動けず ← 週一泊二日+通院日

事前に予定が可能な退院時を除き
病院への送迎も私一人
それが可能なのは
私の場合 ← 第1号介護保険対象世代

運転
助手席のウェルキャブ仕様
折り畳み式車椅子
母を移乗するコツ
および体力の
どれ一つを欠いても困難
福祉タクシーを頼むと負担は減りますが
緊急時も入退院も我が家への移動も
外部のサービスと
時計に縛られない気ままさがストレス軽減
夜間の急変時も病院の指示に一人で対応
あるときは寝巻の上にコートを羽織り
夜間外来で点滴を済ませ
二人が戻ったのは夜更けでした

法制依存、施設依存、病院依存だけでなく
ご近所の多くが介護できるボランティア
そんな社会がよいですね~

デイサービスもショートステイも車椅子は
リクライニング式を使って移動するので比較的安心
但しリクライニング式は可動部が多く思わぬ事故も
母のリクライニング式はスウェーデン製
折り畳み式二台の重量
介護保険レンタル対象
安全上から屋外では使用禁止

母のリクライニング式は私の車では無理
またベッドからリクライニング式への移乗と
リクライニング式からベッドへの移乗
およびその送り出しの準備と
受け入れてからのアレコレでテンテコ舞いの忙しさ

ショートステイから戻った母は ← 2月1日金曜午後
さらに元気に
そこで翌日
毎週末通り我が家に移動
先程 ← 2月3日日曜昼
母の家に戻りました

母の介護に必要なのは
冬の白根山や冬の蓼科山では全然なく


 白根山

 蓼科山


浅草と ← 母の両親が育った土地
巣鴨と、築地と、アメ横とソコへの移動
もちろん地名は比喩


 浅草

 巣鴨

 築地方面 市場は浜離宮の右手

 アメ横


母の介護に必要なのは
母屋を基点に ← 母の長年の住まい
いろいろな土地に出かけ ← 全介助でも可能な範囲
いろいろな場所で寛ぎ ← 昼は静寂よりワサワサ
いろいろな顔に出会い ← 外出するだけで実現
いろいろな声かけに応える日常 ← 至って平凡

昼は周囲が賑わい ← 刺激が眠りヒメを覚醒
声をかけてくれる人が行き交い ← 夜は静寂が必要
人の温もりを肌で感じる状況が ← 私は雪山一人派
母の晩年の恵みになります

母の家と我が家の間には
渋滞のヒドイ橋があります
なので最近の毎土曜は2時半に起床
5時半に出発して渋滞を回避

車椅子と助手席へ移乗の際は
母はまったくの脱力状態
そこで強風下の凍結面を思い起こし
慎重に足場を固め確実に母を移乗
勢いをつけての移乗は
力は要りませんが車椅子ごと倒れる恐れ

デイにもショートにも我が家への移動にも
イロイロ準備が必要です
せわしいのは確か
体力もソコソコないと負担が増します
しかし準備を大変だ億劫だと言って遠ざけると
外からの刺激を絶ってしまい
不利益を被るのは晩年の母
信頼を損ない充実を減らすのは私
山歩きも
色褪せてしまいます

母の状態は刻々変化
胃ろうの栄養液朝昼夕は当初
400ml 400ml 400ml 白湯 100ml 100ml 100ml
最近は
200ml 200ml 200ml 白湯 200ml 200ml 200ml
さらに体重、体調、その日の移動の有無に応じて
250ml 250ml 200ml 白湯 150ml 150ml 200ml
200ml 200ml 250ml 白湯 200ml 200ml 150ml
などと変えています
※2014年9月現在
300ml 200ml 300ml 白湯 100ml 200ml 100ml
または
300ml 300ml 300ml 白湯 100ml 100ml 100ml

体温、酸素飽和度、肌、血圧、排便、排尿の様子も
安定は望めず肌理(きめ)の細かい介助が必要

母は2008年の暮れに右大腿骨頸部を骨折
その前から認知症の症状が現れていました
父の看護と父との死別が
打撃だったと思っています
母の認知症はB病院で初めて認識

父の死後 ← 1999年夏 肺癌から衰弱死
母は一度にいくつもの病気を発症 ← B病院時代
その一つ聴神経腫瘍の ← 長年気づかず
検査の際に隠れ脳梗塞が複数判明
脳神経外科の先生は
認知症の症状が強まるほどに
性格が変わるかもしれないと指摘
整形外科の先生は ← B病院では骨粗鬆症の治療も
骨折にはくれぐれも注意なさいと

性格は今も朗らかですが
骨折後は深刻な食欲不振に
胃ろうを検討した際のかかりつけ病院の診断も
脳梗塞の部位が悪かったのではないかと

胆石は胃ろう設置の際に判明
それまでは本人も家族も知りませんでした

どこまで認知症が進んでいるかは未だに不明
腎臓と心臓と肺は健常 ← 酸素飽和度は今も99%
飲み薬は胆汁の流れの改善と胃炎の薬
便を柔らかくする薬は必要に応じて
最強の『薬』は経管栄養のすぐれた成分
肺炎球菌ワクチンは2010年10月に接種
嚥下機能も正常で
胆のう炎再発による嘔吐が続いても
吐しゃ物が気管へ入り込む恐れはある程度回避

義父は免疫力がみるみる衰え ← 入院前は元気
退院直前に急逝した経緯から
感染症悪化による多臓器不全は入院のたびに覚悟
その折は苦痛を長引かせない処置を
胃ろう設置のときもその後の入院時も
かかりつけ病院に毎回お願い
胃ろうを設置した際に
期待した食欲の回復は未だに果たせず

今回の退院後の母は
入院前同様脚はすべすべ ← 何も塗っていません
皮膚の炎症も消えてしまい顔もすっきり
昨日の医療マッサージの際は ← 2月14日
支えなしで5分間も ← バランス感覚が改善
ベッドの端に腰掛けていました

新たな課題は両腕の筋拘縮
腕を胸元で組んだ姿勢は
胸を圧迫、肺にも胃にもよくないので
手が腰骨付近で納まるように
巻いたタオルで姿勢を制御 ← 手首のねじれに注意
掌の清潔保持と指の癒着を防ぐには
ボールを握らせるとよいとのこと ← 往診時の指摘

母の発語は日常的に接していないと
なかなか理解するのは難しいです
一方、母は自分の環境と自分の状況を
周囲が思っている以上に解っている ……
のではないかな~

母の介護が始まってからは
私は父のベッドで眠りますが ← 母のベッドの隣
母の笑い声で目覚めることが
私が闇の中で覗き込むと
母は『お父さん?』とささやくことも

施設での母は
車内でもフロアでも周囲を見渡し ← 連絡票の記述
盛んに話し
話しかけには
朗らかにうなづくそうです


介護メモ



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