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2010-11-05

11月第一週 (谷川岳、宝永山)

今週は谷川岳(3日)と宝永山(4日)へ

谷川岳へは10月20日にも出かけましたが
あの折は深い霧で手さぐり状態


 10月20日の肩ノ小屋

 10月20日のオキの耳


今回も上のほうは霧でしたが
帰路に辿ったペアリフトへの道から
周囲の様子が判りました




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富士山の宝永山では

六時半に富士宮口の新五合目着
無風、零下4度
駐車車両は数台程度
私が帰るときは一般の観光客も多数
富士山スカイラインの登山区間は例年
11月下旬から4月下旬まで冬季閉鎖

宝永火口との往復で出会った登山者はわずか五人
内一人は第一火口入口で引き返し
二人連れ二組のうち一組は
第一火口底で引き返しました
全員冬山装備
もちろん私も

歩いた経路は(標高は複数の資料からの寄せ集め)

富士宮口新五合目 2390m → 六合目 2500m
→ 宝永遊歩道 → 第一火口入口 2460m
→ 第一火口底の休憩所 2420m → 馬の背 2720m

帰りは第一火口入口まで戻り
往路は戻らず第二火口の縁を南下
三叉路で西に向かい
樹林帯の遊歩道を辿って駐車場へ

要所要所に標識がありました

第一火口底から馬の背までは歩きづらいです
頻繁に落石の乾いた音も

新五合目から第一火口底までは
天気がよく汗ばむほどでしたが

馬の背に近づくにつれ霧が押し寄せ視界が悪化
すぐに霧は消えましたが
今度は風が吹き荒れ飛ばされそうに
馬の背からの写真は
標識の太い柱を
抱え込んで撮ったものです(笑)
体感温度は急激に低下
フリースの耳当て帽子と防寒手袋が威力
防寒手袋は一重一組のほかに厚手一組も携行
厚手のほうは裏地にフリースを使ったインナーに
防水性の高いアウターを組み合わせたもの
馬の背ではこの組み合わせた手袋を使用

馬の背(2720m)から宝永山山頂(2693m)までは
0.5kmほどで往路も復路も10分程度
見た目には起伏のない広い尾根ですが
飛ばされてしまうと困るので次の機会に

第一火口に着いたときの火口は真っ暗
陽が昇るにつれ明るさを増し
色彩も多様に変化

帰路の樹林帯は小春日和
半袖でも暖かかった

宝永の大噴火は宝永地震(1707年)の49日後から

写真は第一火口からと第二火口の周辺にて


 第一火口(左上)と宝永山

 馬の背への道

 火口脇から富士山の山頂

 馬の背から富士山の山頂

 馬の背から山中湖

 雲も霧も押し寄せるときは一瞬



 第一火口と第二火口

 アザミ?

 第二火口壁で群がる鳥

 第二火口の枯れたオンタデ

 壁には樹木も。鳥もあの辺りから

 第二火口壁の上から

 第二火口のさらに下方

 第二火口の縁の三叉路

 三叉路付近から


2010年11月04日の宝永山
以下の写真は撮った順です


 第一火口底の休憩所と馬の背

 第一火口底から折り返す二人連れ

 押し寄せる霧 (馬の背にて)

 宝永山山頂 (馬の背から)

 霧が去っても強風に震えあがる

 馬の背~第一火口底は歩き辛い

 休憩所脇の第一火口底。そよ風

 第二火口の縁から。銀色はススキ

 第二火口の裾。風は穏やか

 第二火口の裾と枯れたオンタデ

 裾は三叉路からさらに南

 第二火口の縁の三叉路




介護メモ

先月から隔週水曜で
訪問入浴をお願いしました
訪問入浴は看護師さんを含む三人一組

手際が見事!
入浴は午後四時ですが
午後九時を過ぎても母は爪先までホカホカ
看護師さん自らが体や髪を洗ってくれますので
体の点検にもなっています

月二回の往診と隔週三回の医療マッサージは継続
訪問看護と訪問介護は今もお休み

介護施設へは
デイサービスが隔週の火曜と金曜
ショートステイは隔週で三泊四日
デイサービス当日の私は雑用と日用品の買い物
ショートステイの送迎日は遠出は無理
ショートステイの中二日で山歩き

今月の介護サービスの利用状況は
支給限度 35,800 単位 (要介護5) に対して
ショートステイ 11,100 単位
デイサービス 6,000 単位
訪問入浴 2,500 単位
用具レンタル 4,100 単位
訪問介護と訪問看護と訪問リハビリはなし
計 23,700 単位
および別枠で月二回の往診が 1,000 単位

毎月の医療費の支払いのほうが
介護サービスへの支払いより大きいです

検査や胃ろうのチューブ交換のため
二日入院しただけでも負担額は跳ね上がります
暗い気持ちになりますので
明日のことは考えない・・・

毎週末は母を連れて我が家に「帰省」
移動日は朝三時に起きて準備
我が家には介護の諸々がありませんので
介護ベッドはあり合わせで工夫
胃ろう用のスタンドも持ち込んでいます

毎週末の帰省時は母をカミサンに託して山へ
週末は出かける場所も歩く時間も限られます

10月28日に肺炎球菌ワクチンを接種
インフルエンザ・ワクチンは次回
どちらも往診時に在宅で

介護の今までをざっと振り返ってみますと

私の介護は十数年前の父の入院から始まりました。父が亡くなってからも母は働いていましたが、父の死後に発症したいくつもの病気が引き金になって、五年ほど前から急速に衰え、二年前の骨折後は寝たきりの状態になっています。現在は要介護5。座位は分単位で保てるまでに回復しましたが、立つのはまったく無理で(脱力状態になってしまい)、車イスや助手席に移す時の私は足場を固め、両腕で母の体を胸に引きつけ、力を頼りに全身で抱きかかえます。その折の移動は数センチ単位ですり足。急峻な痩せ尾根を歩くほうがずっとラクです。但しベッドの上では、起こしたり横たえるコツを心得ていますので、ほとんど力は要りません。

骨折後は会話も無理に・・・なったと暫くは思っていました。ところが語彙(ごい)を著しく欠くほかは、情感も表現力も瑞々(みずみず)しく、ただ、お見舞いの人がソレに気付かないだけではなかろうか。

カミサンの父親は私の母と同い年で、介護保険の世話にもならず、我々は長寿と思い込んでいましたが、母の骨折の数週間前に入院、転院先のリハビリ病院から退院するその日に再入院後、多臓器不全で急逝。それからは義母も衰え始め、カミサン姉妹も、通いと泊まりで世話しています。義母の家はA県、我が家はB県、母の家はC県。私は母の家に「単身赴任」。

次男の私は、社会に出てから両親の家に住んだことがなく、介護の「単身赴任」が始まってからは、生活様式の違いが双方のストレスになりましたが、ナニゴトも慣れ! 介護は慣れれば慣れるほど自由度が高まり、今は新たな温もりと新たな豊かさを見出す日々。

親族は蔭で私を援助。すべて任せてくれることも、大きな助けになっています。

私の山歩きは二年半前から、介護の息抜きにと始めました。ところが今は山歩きが主で介護は従! 今は、介護する側の(私の)自由度が高まれば高まるほど、介護される側が(母が、さらには生前の父が)元気だった頃の心遣い「晩年は子に迷惑をかけたくない」が杞憂になりつつあります。介護生活もまた楽しからずや!なんですね~。経済状態、家族関係、住まい、病状その他諸々に制約され、それなりに工夫や援助も必要ですが

私は炊事嫌い。ガスコンロは元栓を閉めたまま。電子レンジは昭和46年の日立製。食事は冷凍食品かコンビニ弁当。毎日食べているキャベツやトマトも、調味料は使わずまったく素のまま。洗濯はマアマア。掃除は、目についたゴミを拾えばまだマシなほう。

母の衣服は、売り場で品定めしているとヘンな目で見られますので、生協の通販を利用。通販では「丈が合うと細すぎる」「身幅がラクだと長すぎる」などハズレがしばしば。母はさらに小さくなっていますが、胃ろうを保護する腹帯を当てていること、および、右手右足はほとんど利きませんので、着せたり脱がせたりするには丈が短く、太めのサイズが要るのです。元気だった頃の衣服はほとんど全部使えません。

寝たきりの状態でもリクライニング式車イスの助けを借りて、ショートやデイなど積極的に外出の機会を増やしています。外出時や外泊後の母は言葉も表情も生き生き! 助手席で移動中も、好奇心が活発に働いていることがよく分かります。ただ疲れもするのでしょう、外出後は長い時間、眠り込んでしまいます。母がレンタルしているリクライニング式車イスは、安全面の配慮から屋外では使用不可。

私のお酒は、我が家に戻った週末だけほんの少し。カミサンも深夜の呼び出しに備え、家ではアルコール抜きのビール。カミサンの趣味はテニス、友人との飲み会、車の運転、庭の手入れ。我が家は手入れしないと草木が茫々。

介護の消耗品は市の補助ではまったく足りず、インターネット通販でマトメ買いしています。日に数回の水様便の始末と洗浄。経管のおかげで、水分の摂取がうまく行って、点検のたびにズッシリ重い尿取りパッド。および水様便も尿も洗浄と軟膏の塗布には、使い捨て手袋が何枚も必要ですが、手袋は同じ品でも価格差が大きく、インターネットで値段を調べて箱単位で買っています。尿取りパッドも事情は同じ。移動時や就寝時に合わせ、2回用、4回用、7回用を多数使用。

移動時は体が動くので排便を促します。薬臭なので臭いはさほど気になりませんが、水様便は染み出しやすい。そこで移動時は七回用の尿取りパッドを縦に当て、さらに四回用を横に当て漏れ出るのを防ぐのですが、それでも染み出してしまうことが。

水様便の始末も慣れるに従い、ストレスは大幅に減りました。介護は慣れていないと、慣れないと、パニックを繰り返し次第に追い込まれてしまいます。

居宅でも施設でも感謝の笑顔に、癒やされるのは介護する側。

母の家では鍵をかけず、介護関係者や医療関係者は出入り自由に。

母の寝室では、介護用品と母の着替えが一目でわかるように並べてあります。収納しないで並べておけば、万一私に何かあっても、誰かがすぐに引き継げるようにと。

カミサン曰く「私たちはいつ逝ってもおかしくないトシなのね」


介護メモ

 デイとショートはリクライニング式で

 胃ろうで笑顔と抵抗力が戻りました

 週末の移動と入退院は助手席へ



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