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2009-04-03

東京の水辺

レインボーブリッジ
晴海ふ頭公園
青海南ふ頭公園
皇居の桔梗濠、二重橋濠、桜田濠
神田川の浅草橋と柳橋界隈



4月5日に加筆

食事による栄養摂取が難しくなったのは
骨折以前に始まっていたのかも知れません
車椅子生活に変わった退院後は
飲食が一層困難な段階に
三月十二日の訪問看護の折
看護師さんが脱水症状を「かかりつけ病院」に報告
すぐに私の車で病院へ

その病院はまだ掛かったことが一度もなく
初めての診察予約日の一週間も前でしたが
待ち時間なしで診察、入院、点滴を開始
骨折を手術した救急病院とリハビリ病院の記録は
既にその病院に届いていました

先生は先ず食べられない原因を探しました
胃の小さな潰瘍はほぼ自然治癒の状態
他の検査でも原因となる病気は発見できず
先生が脳外科の専門医にも判断を仰いだところ
古い微小脳梗塞の影響はあり得るとのこと

丁寧な説明を受け胃ろう(胃瘻)を選択
手術後数日で目に見えて回復!
独り言も、笑顔と笑い声も、
多少意味不明の応答も、周囲を気遣う母からの
感謝と労(ねぎら)いの言葉も骨折前の状態に

点滴の必要は消えました
入院したときは垂れ下がっていた頭も
久しぶりの車椅子では起こしたままを通せました
ただリハビリ病院では出来た筈の
ベッドの端に「腰掛ける」と「立つ」の機能は
今のところ回復の見込みもわからず
ベッドから車椅子へと
車椅子からベッドへの介助は力業に(腰痛に難)

退院の打ち合わせでは
先生、病院の相談員、訪看さん、ケアマネさんなど
我々のほかに六人出席
それぞれが退院後の
看護と介護の仕切り直しを検討してくれました
因みにカミサンは義父母の援助で手一杯のため
母は私が介護、謂わば男の介護ですが
今まで同様
ヘルパーさんをお願いする気持ちは未だありません
介護保険はケアマネさんに再認定の申請を依頼

退院後は折々の我が家での寝泊まりと
週末の外出の復活が目標です(あるいは既定方針)
父は最晩年の退院できた一時期を
酸素を吸いながら車椅子で過ごしましたが
携帯用の酸素ボンベも用意されていながら
誰も「外出」には思い至らなかったのです

母の車椅子は
外出用とリクライニング式の二台とも(レンタル)
後部座席を倒せば私のハイブリッドカーに入ります
リクライニング式は大きく重いのですが
長い時間を過ごす屋内に欠かせません

母は東京の水辺の病院初めて出産
昨年に骨折するまで同じ病院で受診
父の晩年の訪看さんもその病院から

看病と介護の違いを意識したのは
母に認知症の兆候が表われてからです
介護は日々の暮らしそのもの!です
東京の水辺は遠すぎました

母の介護認定を初めて申請する段階で
地元の病院の必要を痛感
申請中に骨折

新しいかかりつけ病院は
母の家の最寄り駅の近くで
何年も前の母であれば
徒歩で通えた場所にあります
通勤電車の車窓からも見えますが
住宅街に紛れ
興味も関心も湧いたことはなかったです

老後の生活設計には
地元の二文字がとても大切


隅田川河岸


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母の認知症の兆候 (2001年の記述より)
循環運動 (展示日の前夜)

81歳の新作は10月14日20時現在、
まだ顔と指と椅子の脚と茶碗とテーブルの表面に
手を入れなければなりません。
構想から現在まで、
時間は十分すぎるほどあったのですが、
絵そのものを描く意欲が
湧かなかったことが第一の関門でした。
しかし開催日が迫ったここ数日は
集中力も体力も蘇り、
活発に描きはじめホッとした矢先、
伏兵が控えていました。

流れに任せる弾力性が低下、
画布の変化についていけず、
翌朝になると記憶が一段古い方針に逆戻り、
さらに部分部分の描写にのめり込んでしまい、
部分に筆を加えれば加えるほど全体が崩れ、
塗っては洗い流す循環運動が始まっています。
未完成でも仕掛りでも、
私は完成作同様に評価できますが、
一目で調和の乱れがわかる画布では、
さすがに本人も納得できないのでしょう、
この状態ではいつになっても筆を置けません。
その焦燥感!



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