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2008-03-11

介護する日々

私が昨日今日、
いくつかの場で書きました文を編集して載せました。

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私は以前、築地市場をふらふらすることがありました。晩年の父の見舞いの折にも築地市場へノソノソと。場内市場も抜けてしまい埠頭の先でのんびりと!

中高生の頃の私は、当時、全国でも屈指の問屋街で寝起き、市場の熱気には慣れものでした。当時の私の周囲の熱気は、築地の場外市場やアメ横とは少し違い、今は築地の場内市場や銚子漁港の一角に残っております。勿論、渋谷や六本木の雑踏とも違いました。

築地の場内市場も銚子港の埠頭も、お昼には静寂が戻るのでしょう。往時の繊維問屋街の静寂は出荷の済んだ夕刻から。

神田市場の熱気は滅びました。築地の場内市場も、移転(?)後は大切な何かが失われてしまうかも知れません。

市場は素敵な社会見学の場、往時(昭和20~30年代)の繊維問屋街がそうでしたように。

流通革命! もう死語ですね。人々の暮らしがどのように変わるかを肌で知るには、折々、卸市場や漁港の埠頭も見学させてもらうとよいですね子供の私が繊維問屋街を彷徨(さまよ)いましたように。往時のイトヘンのその後の推移同様、漁業も農業も険しさを増しているのかも知れません。

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私は浅間山の眺めは鬼押ハイウェー途中の浅間六里ヶ原休憩所からがよいのですが、六里ヶ原休憩所は冬季閉鎖のため写真を撮るには駐車場門前の狭い場所が空いているときに限られます。ですからここ数年、私は冬になりますと浅間山を撮る機会がほとんどありません。

嬬恋村は畑作地帯が広がっていますので要介護者のお手洗いに困ります。六里ヶ原休憩所の冬季閉鎖で、冬は軽井沢から嬬恋村に入るのは気が重いです。

渋川からですと、草津温泉への分岐までに、国道沿いのコンビニ(一、二の新店のお手洗いは個室が広く、介添え者と二人一緒の利用が可能)、道の駅、浅間酒造観光センターなどがあって助かります。

一般に要介護者も利用できるお手洗いを備えた飲食店は少ないです。

関東でも冬に雪を見られ、要介護者もお手洗いをアチコチで使える観光地の筆頭は奥日光です。私が冬に度々奥日光へ出かけるそれが理由。紅葉の季節に奥日光を避ける理由も同じです。

行楽シーズンの観光地では、身障者用お手洗いを健常者が使ってしまうことがあります。近年は閑散期の食品スーパーでも、身障者用駐車場を健常者の車が占拠する例も。

週単位のリズムを維持しさえすれば、老親にも我々にもドライブはとてもよいです。土曜の早朝に出て(私の起床は世話をするために午前二時)我が家に立ち寄り、冬は闇の中を出発、昼前には帰路につきます。昼食は帰路、一般道沿いのお店で。

要介護者の生活のリズムを変えてしまいますと、本人も周囲も誰もがガタガタになってしまいます。

ストレスに潰されないためには、私は土曜のドライブが欠かせません。平日は無理なので、曜日に選択の余地はなかったです。土曜の夜は我が家に「宿泊」、日曜の朝は「帰宅」途中に、深夜も営業しています食品スーパーで一週間分の食料を調達します。

以前は郊外の自然公園でもストレスを発散できましたが、今は長時間運転しないと・・・。夜明けのジョギングも今は体よりも気分のためです。

因みに義父母も高齢なので、深夜の呼び出しに備え妻も好きなお酒をやめています。

関東圏ではカーナビ(私は未装備)よりも、私は記憶している「要介護者用お手洗いリスト」のほうが便利。片手で操作できる軽いアナログカメラも手放せません。

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私はアナログカメラに性能や価格を超えた温もりを感じています。シャッターを押した直後のフィルムの巻き取り音にも愛着を覚えます。それは自慢や自惚れとは無縁の、長年連れ添った伴侶への労りにも通じる何かかも知れません。誰もがやがては滅びます。老親を見ておりますと「過去」が悉(ことごと)く廃(すた)れて行き死に近づく現実を思い知らされます。その劣化衰退を含めての存在が人間なのでしょう。

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Some of my photos
My photosets
Digitally altered images
About Asa-moya

外出した日別の写真は
例えば16-Feb-2008と23-Feb-2008の場合
http://www.flickr.com/search/?q=16-Feb-2008&w=82818510%40N00
http://www.flickr.com/search/?q=23-Feb-2008&w=82818510%40N00

大きいサイズの画像は、一点一点の画像の左上の
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