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2005-06-11

猛烈な炎

12 May 1998  来週、中国遼寧省から若い男女各一名を呼び寄せ、パソコンを二週間教えることになっています。今の中国は大変です。国営企業が叩き売られています。例えば

黒竜江省では国営企業千社を売却、千社全体の売上高は、同省の国営企業三千五百社の九割を占めると報じられています。

どの都市も状況は同じでしょう。日本の会社員の飲み代やボーナス程度で、数千人規模の工場も買えます。

三千人の国営工場が売りに出され、二千人が解雇、千人が契約社員に切り替わり、その余波で素材が二週間、調達出来なかったのが先々月でした。

失業者が溢れています。実家の農家に帰れる者は幸運です。リンタク、担(かつ)ぎ屋、露店、売春。

呼び寄せる二人の街一帯も不況で、繊維工場は(こちらは合弁や独資ですが)軒並み一時解雇やリストラ。

生活が立ち行かなくなった人の焦りは、豊かな国我々の、中高年の失業者にも言えることです。「普通の生活」の中の失業者も、中国の失業者同様、絶望は限りなく深いです。

12 May 1998  中国から日本に入国するには昨年末から手配してやっとビザがおりました。

16 May 1998  今回呼び寄せた二人は遼寧省の北寄りの地方から。一人は漢族ではなく満族とのこと。一人は朝鮮系。

二十四歳の女性が緊張しています。二十七歳の男性は、ずんぐりむっくりの体躯を弾丸のように動かし、直接尋ねて来るのでやり易いです。未婚の女性は、やはり緊張する材料が多いのでしょう。

女性の指と掌は採炭工のように逞しい。実家は農家。帰宅すると、家事や農作業も手伝うとのこと。芯のある子。

困ったのはお昼のお弁当です。日本を知ってもらうには、皆と同じ生活をと考えていましたが、お弁当一個が五百円も六百円もするのです。こちらが命じた研修なのでお金には困らない筈。ですが、値段を知ればショックを受けるであろうが皆の心配。

二人は夢を膨らませて来日しました。我が家でも新緑が膨らんで、庭がとても狭く感じられます。

03 Jun 1998  梅雨になりました。中国関連のあるMLで、猛烈な炎が上がってしまい、簡単には収まりがつかないようです。日中の敵意が剥(む)き出しになっています。天候の影響でしょうか。多分、そうです。

22 Jul 1998  中国では、二束三文で手当たり次第に国営企業を叩き売っています。少し収まってきたのでしょうか? もっと極端な言葉を使った方が現実に近いかも知れません。持ち家への奨励や転換は、国営企業叩き売りの下地づくり。従業員の住宅は国営企業に所属するため、公司売却の足枷になっているというのが我々の見方。合弁や独資にとっても、取引相手の公司が突然売却され、仕入れが滞るなどの影響が現われています。

08 Sep 1998  中国の関係者の住まいが偶然、公安の地方の長と同じマンションなので、生の治安情報も入ってきます。荒れています。中国は今でも、我が国の「報道の自由」などありませんから、入手できる情報はとても貧しいです。

……クリスマスの季節-149-


犯罪の被害が身近に発生しています。幸い関係者に大きな被害はありませんでしたが、今年の五月に、私がシステム化を手ほどきした若者の一人が、中国東北地方の都市の路上で、三人組に額を割られ四針縫う怪我。その解決法が、法治国では認められない「自助を前提とした雇用政策」に拠ったもので、被害額は十二分に回収できたものの、改めて今の中国の治安の悪さを認識させられた次第です。

また駐在員の一人は、現地警察の上席者と同じアパートに住んでいながら、身辺に危険を覚え、引越しを考えておりますが、ひと昔前の中国ビジネスでは、刑事事件など頭の隅にもありませんでしたので、その変容に失望を禁じ得ません。国営企業の二束三文の叩き売りが始まった頃を境に、「なにもない者」による犯罪が―― 地方から都会に出て国営企業に就職後、職を失い、お金がなく、家族もない失業者による犯罪が――「毒には毒を以って」の自衛手段を講じないと仕事が成り立たないほど、現地関係者の周囲にも危険が日々迫っているという報告です。

お酒の席であってもなくても、犯罪の話題が取り沙汰されますと言い知れぬ不安を覚えます。その対策の「現実的雇用政策」には頷きながらも(日本では採用してはならない方法もあるのかも知れません。そうではあっても、その芳しくない解決策が、日本で皆無かどうかはわかりません)自分の気持ちは一層冷めてしまい、東アジアでは、地球儀の線引きを消すなど半永久的に不可能であろう、とか、中国の現況にくらべれば、我が国は物も機会もありあまる状態なのに、少なくとも食うには困らない社会なのに、凶行の被害がホームレスや子に及んだり、加害者の年齢が次第次第に下がって行く状況に、複雑な想いがあとからあとから湧いてきて、宴席の賑わいにはとても溶け込めませんでした(心の奥で)。

聳え立つ市庁舎(1998-07-05~1999-02-17)(一一三)


飛行場(1980年代前半)に降り立ち、入国手続きを終え、航空券売り場で押し合いましたが、コンピュータは飾りとかで、内陸の航空券を買うため北京市内へ。

この荷物、どうするの?(←私)
預ける場所はありません。このままにします。(←連れ)
嘘!?(←私)
大丈夫です。(←連れ)

航空券を手に入れ、飛行場に戻ったときも、デカイ荷物は、乗客や送迎者が出入りする広場の隅から、動いた様子もなかったです。

クリスマスの季節-68-


お勤め時代の私の部署(調査企画業務)には、ご担当のお仕事が判らない役職者が籍を置くこともありました。そのお一人はナント就業時間中も「毛沢東語録」を手放さなかったです。勿論、趣味や信条とは無縁。1970年当時の思い出。

 ※

招待客はなぜ
鉄塔のそびえる村
らららラララめ~りか!



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