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2005-06-13

インターネットの意義、あるいは情報赤貧の悲哀

生活維持技術も、情報伝達技術も、仮想表現技術も飛躍的に進みました。ヒトの意思疎通の、絶対的基礎であり、遍(あまね)く保障されている言葉を用いた表現も、伝達技術の制約から解放されています。ですが今なお、文章表現の閲覧に、金銭を求める社会通念が理解できません。「文章表現の閲覧」を「自然樹形の鑑賞」に、「社会通念」を「生活環境」に、置き換えてみてください。……13 Apr 2001(随想 青い闇-8-)

社会に広く?深く?浸透した今、インターネットの意義が少しわかってきたように思います。インターネットは単に、観たり、買ったり、遊んだり、働いたり、話したり、送受信したり、制御したり、決済する技術の一環に過ぎず、郵便や、電話や、写真や、蓄音機や、ラジオや、テレビや、映画浸透時を越える画期性はないでしょう。確かに、取引方法や勤務形態にも影響が現われるでしょうが、それとて、市場や、簿記や、印刷機や、自動車の出現がもたらした以上の巨大な変化は生まれないと思います。双方向通信の斬新性も、個人相互では、ヒトがもっと開化するまで生かされないでしょうし、見ず知らずからの電話に対するのと同様、インターネットでの会話は警戒して当然で、お喋りや、出会いや、雑談の掲示板や、歓談のMLへの期待も、世間から急速に引いていくのではありますまいか。仕事でも生活でも、費用と時間と資源で省ける部分は、片端からインターネットに換わられますが、それは浪費に明け暮れた前世紀の尻拭いに過ぎず、誇れる話ではありません。

客体化の鏡として、インターネットほど有効で、インターネットほど普遍性のある媒体を知りません。比較級のもの言いは不正確です。過去、共有媒体(あるいは普遍媒体)はなかったのですから。……06 Jun 2001

本当に哀しかったのは、濃色限りが隊列を組んで固まってしまい、譴責処分を受けた一隊が、連隊長から絞り上げられる風情にです。と書いたのは2003年12月。濃色限りとは報道関係者を指しています。報壇が主体的になびいたのは、そのさらに二年も三年も前、いえ、泡が弾ける前の、盛んに自助を唱えていた時代からだったかも知れません。

疑問が解けたのは、花に誘われた一般が、一瞬でなびいてしまった現実を目(ま)の当たりにしたからです。文民の棟梁自らが約束事を歪(ゆが)めてしまい、合議の最高権威を形骸化できてしまうのですから、突出した破壊力を実際に操る立場が同じ手法を用いますと、過去の再現も唐突とは言えなくなります。情報赤貧の悲哀です。

解けた疑問

インターネットは顔が見えない
かくて誰もが
マスコミに白旗を掲げるインターネットの表現理念



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