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2005-05-13

大雨にご注意!

晩年に記した随想を理解するには、読者にもそれなりの知識と人生経験と感情移入が必要になります。「孤独な散歩者の夢想」から、つまり死を間近にした「老人の繰り言」から何かを感じ取るには、読者も自分を同じ境地に置いてみる必要があります。しかしいくら感情移入と言いましても、若者や中年が「老人の心境」になり切るのはとても無理、つまり、「これからの人々」には理解できない書物もあるのです。だから眠くなる、そのような書物は理解できるなどとは考えずに、そっと本棚に戻しておいて下さい。

もし「老人」にも「役割」があるとしましたら、それは現役を真似るのではなく、現役の大人には担えない「何か」であると思います。高年者の中でも幸運にして「何もしなくても食って行ける老人」には、それなりに「社会が必要としている何か」があると思います。無論それは、パソコン教室や自分史の執筆とは別のことです。

と言いますと、すぐにシンポジウムを開きレジュメを公表し、団体を組織しナニナニ運動を始めましょう、となるのですが、それではやはり「現役に過ぎる」と思います。我々は引退者とその予備軍です。感情も観念も硬直化して、柔軟性と協調性に欠ける老人とその予備軍です。動けますまい、現役の行動様式を真似しましても。ではどうするか、とまた畳み掛けられそうですね。散歩者の夢想MLではなく、孤独な散歩者の夢想MLになりそうです。

編集中記 【その61】 Jun 9, 1997


ある自分史の会の、主宰者の評に「ヨイショ」を目にすることがあります。これがとても気になります。文章を印刷物にしますと「残ってしまう」のですね。大袈裟に言いますと、一生自惚(うぬぼ)れをさらしたり、末代まで恥ずかしい思いをさせてしまう文章ですと、書いている時は得意でも、印刷後に気づくようでは手遅れです。

「自己嫌悪」という言葉を繰り返しますが、ある種の文章表現は「後悔との戦い」と言ってもよいでしょう。自己嫌悪が生まれないような文章ですと、結局、自分の利益にならないのではありますまいか。この利益とは、私の場合「感受性の深まり」を意味しますから、とても大切にしています。

タイヘンナンデスゾ文章のデッサンを続けることは。ちょっと批判された程度で厭になってしまうようでは、お先真っ暗。

よく考えますと、我々は大人になってから、自分だけのための考えや、自分だけのための行為を、他人から面と向かって、批判されたことがないのですね。あるいは最も大切な自分の想いを、他人から面と向かって、無視されたことがないのですね。文章表現に挑んだことのない我々はみな自惚れ屋さん・・・は言い過ぎですが、仕事や生活に対する批判とは違い、自分の「心」を他人から評されるのですから、あるいは無視されるのですから、文章表現にも、安易な態度は通じないと思います。

編集中記 【No.221】 Jan 20, 1999


昨冬、神保町の喫茶店で待ち合わせ、元編集者(Aさん)に、祖父の自伝の原本複写を差し上げましたところ、「変体仮名まじりの原稿、面白く読ませて頂いています。数十年ぶりにおめにかかる仮名文字は『あげそめし前髪』のころに引き戻してくれました。衰えた脳細胞フル回転、デス」

喫茶店ではもう一人と初対面のご挨拶。現役時代は編集に従事、引退後は校正のお仕事(当時は古典の戯曲の翻訳)でしたが、今後も仕事を続けるかやめるかの悩みを、他人事のように話されていました。そのご婦人が私の随想も校正。第一作で懲りてしまい校正者の「介入」を嫌っていた私に対し、Aさんはその後も一、二度、出版社の立場で必要な手続きを踏んでいたのです。ご婦人曰く「校正した随想の印象から、しかつめらしい人物を想像していましたが、実際に会った印象はその逆ですね」

実際に会わずに文章だけで、旧知には文章なしで、お互い、どこまでわかり合えるのでしょう。しかし昨日までは、文章表現は媒体に与(あずか)れる一握りの私物だったですし、これからも開示に、権益が絡みつくのは避けられますまい。

随想 青い闇-3- 18 Dec 2000


どこかで書いた繰り返しになりますが、過日、私と会う約束をした知人が、私に会いたいという人を、私に知らせずに呼んでいました。初対面の先様のご感想は

ショウネン・・・と言いかけた言葉をぐっと飲み込み、青年と言って驚いていました。予想との距離が大きかったのでしょう。お二人はご親友で、私より一まわり上のお歳。

書き物と素顔のどちらが本物?

心は土砂降り、なのに表情はルンルンルンというご経験、ありますでしょう。笑いたい気持ちなんて、これっぽっちもないのに、顔だけは笑顔でルンルンルン、なんてこともありますでしょう。笑いが健康によい、とか、笑いは気持ちを明るくするなんて嘘ですヨ。なぜって、無理笑いや、バカ笑いや、お愛想笑いや、健康笑いなどする必要もないほど、人に会えば笑顔を見せてしまう人間は、きっと、多分、恐らく、心はますます時雨(しぐれ)て、奇天烈怪奇変幻虚空なんでしょうから。笑顔など装わなくても暮らせる世の中の方がどんなによいか。

扁桃腺という言葉、忘れておりました。風邪じゃなくて扁桃腺炎? ヤハリ、風邪にも見放されていたのですね。

大雨にご注意!

草原に朝の食卓ML掲示板 181. 扁桃腺炎  2001/07/06


近所の猫、口を利いてやらないのですが・・・

走り終わって、舗道の真ん中で、誰にも気がねなく整理体操をしていますと、側溝の脇で身構えている近所の猫! 無論、雀を狙っているのです。

私がいつもいい顔をしてやらないので、警戒を緩めず、タイミングを見て、側溝をまたぎ、畑を横切り、塀などという立派なものはありませんから、柵の下を潜って我が家の敷地に侵入、玄関脇から建物の裏を経由して自宅へ戻る。

その猫、最近、私が整理体操をはじめると、舗道中央で寝返って、仰向きになり、背中を掻くようになりました。

もう一匹は、左右の余裕がミリ単位の「駐車バ」から車を発進させる際、やはりいい顔をしてやらないので、木立の影にうずくまって当方を監視、している程度のことは昔から承知、今朝はたまたま、目が合ってしまい、逃げるかと思いきや、ますます瞳孔を広げるだけで姿勢も変えない・・・

見るとつけ入ってきますので、犬にも猫にも私は甘い顔は見せません。そう、素顔でいられるのですね犬や猫には。しかし

衰えました二匹とも。二匹だけではないのかなあ。

草原に朝の食卓ML掲示板 192. 二匹の猫  2001/07/19
より宮殿の敷地我が道を行く猫


掲示板って、どうも書くの、難しいです。

痛む親の痛みとは、今、盛んに予告されている「痛み」のことです。

空洞化って言葉、まだお忘れではないでしょう? あの頃から「自助」と一緒に「痛み」という言葉も、寡占媒体は盛んに流していましたです。でも、痛みに耐えなさいと言われた側は、今まで、言われなくても耐えていたのではないですか。自助を放棄したのは・・・などと随想で自問自答してきたその痛みです。

議論は私は先ずしません。私の方法はやはり「随想 中町にて」で触れましたが

各自ご自分の船をご用意下さい。現在、乗り心地の悪い船に乗っている方は、皆が各々用意した船で、最も乗り心地のよい船に乗り換えてください。無論、自助は忘れずに、と、まあ、こんな考えです。乗り心地とはとても情緒的な言葉です。政治? 経済? そんな難しい言葉は手に負えません。旅する機会、私の船はそんなものです。

そう、掲示板で私が突然、脈絡のない言葉を書いたら、随想の世界に飛んでいってしまい、別の世界でウジウジしているのだとご判断いただいて、先ず間違いないです。

痛んだ親とは、職を失って、あるいは失意就業で、我が子の教育費を捻出できない親のことです。痛んだ親の子とは、生徒であれ青年であれ、職を失った自分の親を、失職した親本人以上に、心を痛めている子のことです。

草原に朝の食卓ML掲示板 214. 掲示板って 2001/08/04
旅する機会



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