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2005-05-19

生きる歓び

編集中記【No.148】 Aug 30, 1997

壁が剥げ屋根の朽ちた邸宅には、久しく人の気配がなく、真夏に咲いた赤い躑躅(つつじ)が、寂寥感を掻き立てます。玄関にまわりますと、スペイン製タイルを張った明るい通路に、寄り添う夫婦の生きる歓び! 少し「美」について考えます。

編集中記 【No.149】 Aug 31, 1997

以前、アジアの現代作家何人かの企画展に出かけたことがあります。素足になって茣蓙の上で胡座を組んだり、香を焚いた木製の立体に触ったり、礼拝堂を模した部屋で読経の録音を聞くなど珍しい作品を「体験」したあと、西欧の宗教と土着の色彩が「宥和」した油絵や、惨たらしい民間伝承の連作の、普段見慣れた西洋美術や日本画と大きく異なり、啓蒙と、説諭と、信仰と、告発の滲み出た作品群に辟易して、そそくさと出口へ向かった最後の広間に、硬直した裸の巨人が数十体、各自、自分の着衣を、前に突き出した両腕に乗せ死の沈黙で現代文明を----

編集中記 【No.150】 Sep 01, 1997

群像個々の足元には、鑑賞者が自由にモノを置いて「参加」できる仕組みが用意され、短文や短詩を記した紙切れが積まれ、初乗り区間の切符、期限切れの通学定期券、ボタン、手帳の切れ端、一円玉、五円玉などがありました。

主に高校の女の子でしょう、広間を出てすぐの机で、感じたままに自己批判を繰り広げた作文や作詩を重ねる、その紙切れを丹念に読み進み、最後の巨人一体分まで読み終えて、作文を添削する教師の気分を味わいながら企画展を後にしました。作品の意図は十分に汲み取れたと思います。ですがこれでは、美を堪能するのではなく美に飢えてしまう。

編集中記 【No.151】 Sep 02, 1997

初めて「美術の美」を意識したのは何時だったのでしょう。絵の好きだった小学生時代? ではなさそうです。大学生時代に訪れたニューヨークの美術館? でもありませんでした。自然には無数に魅せられましたが、自然から与えられる美は、早朝に新鮮な大気を吸い込む生理同様、美術好きの美とは次元が異なります。では、美術好きにとっての美とは何でしょう。美術の好き嫌いはともかく、皆さんは「美術の美」をどのようにお考えですか?

編集中記 【No.152】 Sep 03, 1997

中年になった頃、欧州のいくつかの都市を一人で旅したことがあります。新しい試みを調査段階から立ち上げ、出張の計画も自分で手配、しかも具体的成果を持ち帰る必要から、現地の支援を要請したのですが、分野違いもあって、結局いくつかの都市での通訳以上は期待できず、今考えても厳しい旅だったと思います。

幸い、切羽詰まっても開き直ることができる程度の厳しさでしたので、つまり土壇の刀には組織の錠が下ろされ、失業者や零細企業の奈落とは本質が違っていましたので、旅行の終盤には動揺も不安も消え去り、帰国当日の空いた時間に、街路を歩き続けて辿り着いた美術館が、美術が「分かる」と感じた最初の機会。

編集中記 【No.153】 Sep 04, 1997

開き直ったと言いましても緊張していたことに変わりなく、痛んだ神経がしきりに何かを求めていました。それが美術館の作品群に接して具体化されたのです。大量に展示されている古今の名画を、作者名は無視、題や解説も読まないで片端から観て行きますと----

成果を求められる一人旅では、食事一つでさえ重荷になることがあります。例えば夕食。イタリア料理も中華料理も、事前に観光スポットを下調べする余裕のない旅行者には、単身者用食堂の知識は皆無、やむなく飛び込むレストランでは、必ずと言ってよいほど和気藹々の家族連れや友人連れで占められ、神経は参り、感覚は研ぎ澄まされる一方でした。

壁一杯に掲げられた無数の絵画を、一瞥しては足早に通り過ぎ、また次の展示室に移動しましたので、膨大な作品も壁紙の模様程度に感じていたと思います。その壁紙の中から、突然、絵画が動き出して和ませてくれるのです。動く絵画が壁面から飛び飛びに現われ、「俺にも分かる絵があるのだ」と思いました。展示品は名画中の名画でしたが、動かない名画は私にはどれも壁紙、無縁無価値の他家の装飾。しかし「動く絵」は、まだ入門に過ぎなかったです。

編集中記 【No.154】 Sep 05, 1997

子どもの頃は色鉛筆やクレパスに触るだけで楽しかったです。何を描くかではなく、描く過程が喜びでした。描いた作品は(巧拙を云々する大人がいなかったら、あるいは○○展への応募などと大人が競争を焚きつけなかったら)処分しなければならない塵芥の付け足しに過ぎなかったです。

子どもの頃は描き終えたと同時に満足しましたので、鑑賞は視野になく、情操面でも描画は、「与えられる良薬」ではなく「実行による発散」だったと思います。しかし思春期に入るにつれ、無心の燃焼は野心と情念が織り成す自己主張へと変質、私情や欲望に突き上げられ、あるいは抑圧感の反動で、描画を自己顕示の手段ないし媒体として利用、この段階でもなお美意識は姿を見せず、美意識という言葉を認識していたかも疑わしいです。

編集中記 【No.155】 Sep 06, 1997

高校生時代は、美術が好きでも美術は専攻しませんでした。スポーツや旅行など他に楽しみがありましたので、自己へのこだわりを美術に求める必要がなかったのです。

青年期は自己主張が強く、その果実である自己満足、自己耽溺を求め、刺激的作品に傾倒する一方で、色彩も構図も素材も流派も、ありとあらゆる作品に好奇心を発揮、鑑賞というより宝捜しであったように思います(熱心だったのは美術品ではなく生きた造形、つまり生身の人間)。

編集中記 【No.156】 Sep 07, 1997

自己耽溺から自己沈潜へと流れが変わったのは中年も盛りを過ぎた頃からです。主題が醸し出す楽曲に耳を傾け、画布から流れ出る情景に魅せられる傾向が強まったのは年齢ゆえ? それとも状況変化? よく分かりませんが、美術にこだわる自分の姿を見出した時は、まず技量の完璧さを前提に、気迫に満ちた静寂と、表現者の業または修羅の体験、時代との相克あるいは超越などの滲み出ている作品を求め、やがて寂滅を楽と為す表現に飢えていました。そこでうまく沈潜できれば、一つの美意識は完成したのでしょうが、横槍が入りました。

編集中記 【No.158】 Sep 09, 1997

美術志望の子には、日本画志望もいれば彫刻志望やデザイン志望もいます。その目指す作品を卒展で観察しますと、一般の展覧会や企画展で見かける作品と分野も、傾向も、感覚も個性も見分けがつかず、根本的な違いは技量の完成度と思っていましたが、その一人と我々が美術館巡りを重ねるに連れ、感じ方に違いがあることに気づきました。

私の評価は先ず技量。完璧な技量をもって鑑賞するに足る作品と思い込み、技量の未熟が目につく作品は、あるいは技量の未熟を「思いつき」で隠した作品は駄作とみなしていました。美に自己沈潜を求める時、技量の粗が不愉快なほど災いして(鼻について)とても鑑賞に値しないと感じてしまい、勢い、精緻で深遠な作風や、張り詰めた筆遣いの作品に「一対一」で構えていたのです。一方、コギャル(女高生)は自由で闊達、惹かれる作品に自在に溶け込み、自在に抜け出し、好きな作品を踊るように楽しんでいました。その感応基準は分かりませんが、「嗚呼、俺は老けた」と悟った瞬間、憑き物が落ちました。

編集中記 【No.159】 Sep 10, 1997

作品の、主題や思想や精神性およびその浅薄が気になって具象は煩わしい、と無意識に思っていたその想いが噴き出したのです。自己耽溺の滲み出ている色彩にはついて行けず、自然の描写も視界を画布の奥行で縛られ、想念を主題で方向づけられる作品には鬱陶しさを感じていましたので、それまでは敬遠していた抽象性の高い作品や意味不明の実験作、あるいは日常の感覚を覆す作品や自由奔放な作風に惹かれるまでに変化。

今は朽ちたモルタルの薄汚れた凹凸に、人々の群舞踏踊を観ています。観るだけではなく拡張し表現しています。踏踊の宇宙には家族があり旅行があり、見知った子の顔があり老夫婦の歓びがあったのです。

編集中記 【No.160】 Sep 11, 1997

自己沈潜にこだわっていた頃の美術鑑賞は単身に限っていました。もとより孤独を前提とする観照が無用になる訳ではありません。その種の必要は先方からやって来ます。しかし自己沈潜に必要な美はその辺りにどっさり転がっていますから、一度踏踊の扉を叩きますと、沈潜への道を辿る衝動は消えました。

日常の美術館巡りの目的は、以前は「夫婦で珈琲と西洋菓子」でしたが、今はコギャルの美術館巡りの、足場が悪い企画展へ送り迎えする運転手の役目、つまり三人連れに、時折、仕事の合間に日本画を描いているコギャルの祖母が加わります。参加するメンバーの数は踏踊の広がりに影響します。(※←1997年当時の顔触れです。今は別。)

美術館に出かける人数が何人であれ、作品を見るときは各自単独行動、滅多に口をきくことはありません。意識してそうするのではなく、自然にそうなります。映画を夢中で鑑賞している場面を思い起こして下さい。同伴者と話しながら展示品を見る人は、美術よりお喋りが必要なのかも?

編集中記 【No.161】 Sep 12, 1997

美術の評価が親しい人々と一致するのは嬉しいものです。それが舞い踊る作風や愉快で創造的な表現の場合は尚更です。作品一点一点に対する感想は必ずしも一致しませんが、作品全体に対する三人の印象が展示品の色彩のようにあでやかで、踊っている彫塑のように弾みますと、その愉快な気分が一コマ一コマ心象に刻まれます。

編集中記 【No.166】 Sep 17, 1997

入選作や個展を「義理」で見に行く美術展は楽しくありません。混んでいたり挨拶が必要だったり、静寂とはおよそかけ離れた美術鑑賞は、作品の値踏みか、好奇心の充足か、論の実証か、観たという記録づくりか、いずれにせよ踏踊の世界とは別種の美であり、私にはこの種の美を感受する能力はありません。踏踊の美は、作品と鑑賞者が協力して幕を開け、時間とともに拡張する百人百通りの固有の心象。

編集中記 【No.167】 Sep 18, 1997

広く豪華ですが、年に一度も使われないため、埃と黴臭の漂う応接間に、美術館から引き上げられた「図」を目にしたのは入選から数年後のことです。部屋の隅には、習作や応募作が無造作に束ねられ、とても鑑賞できる状態ではなかったですが、部屋に入った瞬間から絵が饒舌に語り始めるその声に聴き入りますと、青いナイル河が渦巻き和装の少女が蘇る。しかし、画布から動き出した情景は、続いて展開される心象の前奏曲に過ぎません。

応接間の壁にはフランスの画家のリトグラフと、やはり海外の作家の花鳥の細密画が飾ってあります(※←1997年当時です。2005年の今は心象に廃墟の美として残っています)。いずれも一目で本職の絵と分かる洗練された大作で、部屋を華やかに引き立てる装飾効果に優れています。しかしこの2点の作品だけでは踏踊の宇宙は生まれません。特に油の細密画は、過去に5年ほど飾ってあった別の建物(※←中町の白い壁面)の心象が邪魔になり、老婦人の描いた日本画と不協和音を生じています。熟(な)れの配慮を欠いた展示は美の表現力を減殺します。

編集中記 【No.168】 Sep 19, 1997

画布から流れ出した情景は、やがて制作風景に席を譲ります。作品を描く筆遣いが、実際に見なくても見えるようになり、画布を見つめる表情が、実際に立ち会わなくても浮かんできます。老夫婦の笑顔が無人の応接間に現われ、部屋全体を歓びの表現で満たしてくれます。私が美術を愛する所以です。

編集中記 【No.169】 Sep 20, 1997

コギャルの一人が、別便で帰国した両親と合流してニューヨークへ戻りますと、途端にこの団地も寂しくなりました。残りの二人も普通の生活に戻る筈が、まだ遊び足りないとかで夏休み最後の土曜に、行きそびれた繁華街でバーゲンを漁ったあと、「ライブ」の券が入ったと喜び勇んでお出かけする、その姿たるや、髪は茶色、爪は紫、踝(くるぶし)まで届くへなへなのスカートに、素足に下駄という阿呆(あほう)丸出しの姿に衝撃を受け、顔の化粧は、恐ろしさの余り見ることも出来ませんでした。

開演が遅れたとかで帰りも遅く、最寄り駅に着いたのは午後十一時過ぎでしたが、お手手つないでトボトボ戻る姿は幼稚園児のあどけなさ、まさに絵です。

編集中記 【No.170】 Sep 21, 1997

初めての赤ん坊が胡座(あぐら)をかいた、その歓びはどの親も同じでしょう。しかし腕の確かな母親が一気呵成に描いた絵は、赤ん坊の祖父母の寝室を飾るのに相応しく、同様に普遍的主題を選んだ絵画も、一般の鑑賞者の感激は、作者の縁者ほど強いものではありますまい。

トボトボ帰る二人のコギャルの一夏の踏踊を知る者は、帰路を辿るコギャルの図に微笑ましさ以上の何かを見ます。自ら表現する鑑賞者には、絵画や彫塑はその表現の出入り口に過ぎません。

現実との関わりの薄い美術は、つまり一般の鑑賞者にとってすべての絵画や彫刻は、白紙で臨んでも心象の広がりは期待できません。踏踊の宇宙は時間とともに拡張されますが、行きずりの鑑賞は、初見の強烈な印象も、鑑賞の回を重ねるほどに色褪せます。感激の強さだけにこだわるのであれば、美術(狭義の美術)より、映画や演劇が優れていると思います。しかし映画や演劇は、鑑賞する側の自由を封じ、鑑賞者の創作領域を狭めています。現実との関わりで感動が深まる表現は、映画や演劇より美術が勝っています。

編集中記 【No.172】 Sep 23, 1997

落選の衝撃は高年の勤労者だけではなさそうです。同じ芸術大学の、同じ専攻科を卒業した中堅の画家数人が同じ絵画教室を担当する(個の独立が当然視されている美術の世界も「絆」の強い分野では、「同じ」という言葉の重複がある種の保険)、中の一人が権威ある美術展の選に漏れ、翌年も、また翌年も落選するようになりますと、その画家の心境も鑑賞者の理解を超えます。

応募作や出品作に懸ける執念と得意は、美術を専攻する高校生の間でも強烈に働きます。一年生の作品は、まだ絵の上手な子の表現であったものが、二年生になりますと、本職の風合いと思春期の情念をぎらつかせ、仕上がった作品に密かに来展者の絶賛を期待する、その自作に懸ける執着は既に大人。

編集中記 【No.173】 Sep 24, 1997

見知った子の作品は、そうでない子の作品に比べ興味の度合いが違ってきます。えっ! これがあの子の作品なのと思った瞬間、先ほどまで見過ごしていた作品が俄かに自己を語りはじめる(鑑賞者が作品に生命を与える)、その印象が心に残りますと、それからの一年間、無意識にその子の話題が脳裏に刻まれ、翌年の文化祭では進んでその子の作品を探し、作品の成長と作風の変化を楽しみます。その子が将来、美術を職業に選ぶのであれば、今後数十年にわたって、特別の作品を楽しめます。

巨匠の名作以上に魅力ある作品が足元に転がっています。それは美術が、鑑賞者に、現実との関わりを強く求めていることに由来します。積極的に外部へ踏み出すことが、主体的に他者と関わることが、美術鑑賞には、つまり自己の表現活動には、どうしても必要になります。

編集中記 【No.174】 Sep 25, 1997

鑑賞者の無聊を慰めるために表現する作家は多くはありますまい。退屈凌ぎに描く趣味人は無数にいるでしょうが、それとて、完成した作品に求めるものは入選であり入賞であり、「他者の暇つぶしに役立てば」程度の評価で満足できる作者は例外だと思います。まして職業としての美術であれば、評価が直接収入に響くのですから、引退者の無聊に照準を合わせる理由は微塵もなく、現実の最も激しく、あるいは最も厳しく、燃焼する部分に焦点を置くその気迫や緊張を感受するには、鑑賞する側も、自己の表現力を高めて置かなければなりません。

失業や重篤の病は現実から逃げることができません。同様に、晩年のある段階に達しますと、厭でも現実を直視する必要が生まれ、自己の表現力が高まり、踏踊の世界が開けてきます。しかし引退から晩年までは、現実の営為に自ら関与しない限り、自己の表現力を弱めてしまい、好きな美術も退屈で汚染されます。

関わる現実は、一人で探すよりも協働で拓く方が楽です。目先の利益よりも、発展性ある事業の方が遣り甲斐があります、とは思いません?

編集中記 【No.176】 Sep 27, 1997

一つは制服がなく自由な校風の、生徒が自主的に準備した文化祭。人気のある高校ということもあって、文化祭当日は近郷近在の生徒が押しかけ、保護者は廊下にも入れず、玄関脇に押しやられてしまうほどの盛況でした。

もう一つは普通科の中に美術科のある高校で、制服あり、茶髪禁止、服装検査ありで、文化祭を準備した生徒がどこまで自由だったかは(生徒の主体性と裁量の余地は)分かりませんでしたが、一般の人々に開放する休日も、足場の悪さが手伝って、保護者も他校の生徒も来校者は至って少なく、我々が訪れた午前は、廊下ですれ違うのは学内の生徒ばかり、一階なのに、美術を展示したいくつかの部屋は人影も疎(まば)らで、最上階に集められた生徒のお店は、寂しさのあまり入るのもためらわれ、午後も閑古鳥が鳴いたそうです。

編集中記 【No.177】 Sep 28, 1997

内輪の催しに夢中になるのは楽しいものです。同世代の男女で賑わっている文化祭も、青春時代の特記すべき行事として一生の思い出になるでしょう。そのような文化祭では、むしろ生徒には、保護者の参観は違和感があるのかも知れません。保護者にとっても、場違いな印象は免れません。

高年者の趣味にも同じような傾向が見られます。さらに高年者の場合は、生活が趣味を中心に回転し始めますと、閉じた趣味の営みに、内部からも息苦しさや孤独感が出始めます。一方、同世代から報われる機会は減ったとしましても、進路や、具体的目標が外の世界に開かれている高校生は、閑散とした会場に現われる「外部の鑑賞者」が拡張の引き金になり得ます。 評価を、同世代ではなく保護者の感想に期待する、あるいは専門家の批評を待ち望む文化祭であれば、それもまた一生の記憶に残ると思います。内輪の趣味三昧で自足するか、開かれた世界との関わりで自己の表現力を高めて行くか。

編集中記 【No.191】 Oct 22, 1997

題名の意味に結びつかない絵画や彫刻は、抽象の世界ではあたり前のように思われます。「生きる喜び」と題された円や直線の油彩を眺めて、腕組みしている壮年の男性が思わず漏らした言葉、「何でこの絵が生きる喜びなんだ」は率直な感想でしょう。

若い頃の鑑賞態度は違いましたが、現在の私は、絵画や彫刻を心象の「パターン」を喚起する媒体と考えています。該当するパターンが私の内部に欠けている場合、あるいは想起されるのを好まない場合、眼前の作品は一瞥で通り過ぎてしまいます。

絵画や彫刻は「わかる」「わからない」ではなく、自分が半世紀かけて形成してきたパターンに「あう」「あわない」で応じますと肩の力が抜けます。合わない作品は傑作とされる作品も、そっとその場を通り過ぎ、合う作品は無名も未熟も、大切に、いや、魅せられてしまいます。

「生きる喜び」----、この言葉を聞きますと、明るい色彩と躍動感が浮かび、踏踊の扉が一瞬で蘇ります。この種のパターンを喚起される作品ですと、元の題名は何であれ私には「生きる喜び」になります。

編集中記 【No.192】 Oct 28, 1997

パターン鑑賞に拠る場合は、絵画は鑑賞者を拘束しません(支配できません)。映画や演劇や小説は、見終わるまで(読み終わるまで)鑑賞者を拘束し、見終わった後もある規模の「構築物」を鑑賞者の内部に置き去りにしますが、パターン鑑賞者にとっての美術作品は「踏踊の扉」にあたり、扉がどのようなデザインでも、建物全体を構築するのは鑑賞者の側ですから、建築の精神性、理念、構造、展開様式、規模は鑑賞者自身の創造力次第になります。逆説になりますが、パターン鑑賞には、合意され統一された中身は存在できない----。扉と建物を合わせて作品と呼びますと、作品の完成は(完成という段階があった場合の話ですが)鑑賞者が決定し判断します。建物の建築に着手しない鑑賞者には、絵画を、扉のデザイン以上に評することはできないでしょう。

編集中記 【No.193】 Oct 30, 1997

建設中の巨大な「美術館」をご想像下さい。展示した絵画1点1点がどれも踏踊の扉、各扉には(絵画のデザインには)幾通りもの好みが存在しますが、好みの多様性は(扉の多様なパターンは)「美術館」を豊かにする条件の一つ、「美術館」建設の妨げにはなりません。「美術館」の建設に着手しませんと、絵画の好みの違う者同士は、鑑賞の喜びを共にすることが難しくなりますが、展示する絵画の数だけ現われる好みの扉から、「美術館」に入館し建設に加わりますと、協働の喜びに裏打ちされた鑑賞の充実を共有できます。「美術館」とは「現実の営為」。

編集中記 【No.194】 Nov 05, 1997

単身の美術鑑賞は内向きです。印象を家族に話すのが精一杯で、現場の雰囲気を自宅に持ち込むことはとてもできず、作品に接した鑑賞者が自己の記憶を更新するまでが限度。鑑賞を援助する家族がありましても、その家族が美術に無関心なら、単身の鑑賞者は扉を抜けて創り上げた心象の宇宙を、孤独のうちに閉じなければなりません。

展開力の優れた散歩者であれば、同伴した家族の情景も脳裏に刻み、建設中の「美術館」をより豊かに彩色できます。感受性の優れた家族であれば、「美術館」は家族の脳裏に複写され、心象の連鎖によって建物の規模を拡大できます。では配偶者や子や孫のいない散歩者や、飾りに無関心な家族をもった散歩者はどうしたらよいのでしょう?

言葉----? 確かに言葉は心象の連鎖の強力な鉤(かぎ)ですが、仮に同じ思想、同じ理念であったとしても、表情と肌合いの僅かな違いが、心からの共感を妨げます。

編集中記 【No.195】 Nov 06, 1997

美術のサークル活動は、日常生活の波長に一定の影響を及ぼします。しかし我がままが効きますから----、いえ、自己主張を他者の主張に優先するのが自然ですから、あるいは「辞める」などの方法で他者の自己主張を回避できますから、美術のサークル活動も鉤となる言葉の表情に(恣意と顔触れに)色濃く支配されます。

サークル活動が美術専攻の学校に替わりますと、生活に対する拘束力は飛躍的に高まります。就学目的の達成を、卒業という「表情の統一された言葉」によって義務化され、友人関係の集散を繰り返しながらも、美術への関わりを実り豊かに育み、学内生活を柱とする「不自由な営み」がしっかりと根を張ります。

単に趣味で鑑賞する美術と、美術学校の生活の中で鑑賞する美術とでは(情報を自分で集め一人で出かける美術鑑賞と、豊富な情報のもと自己の生活に優先的に課せられ、しかも気の合った仲間だけでなく、同窓としての集団と現実的に関わりながら、単身あるいは一緒に出かける美術鑑賞では)充実度だけでなく生活様式にも大きな違いが現われます。

編集中記 【No.196】 Nov 12, 1997

現役当時の協働と相互依存の関係は、自由な選択の最も大きな枷になります。特に職業に関する決定は、環境と状況によって選択肢を限られますので、裁量の余地はとても少ないと思います。個人の生活も同じでしょう。夫にも妻にも、子育てを放棄する自由はありません。家族生活は、事前に轍(わだち)(労働と子育て)を予定され、その跡追いを義務づけられているのが一般です。家族生活に独創の余地はありません。しかし、幾千年もの間、引き継がれてきたこの定型の生活が、生きる喜びの「最大の源泉」でもあるのですから、定型が崩れ、例えば職を辞せば、就労からの自由と引き換えに労働の喜びを取り上げられ、離婚や病死で配偶者を失えば、伴侶からの自由と引き換えに「配偶者を思い遣り夫婦で労り合う機会」も失われてしまいます。

引退して得られる自由には、働きかける対象がないのです。過去には関心の薄かった美術館に足を運び、作品の「真意」を尋ね、哲学的解釈や情緒的満足を得ようとする営みも、現役時代の熱い想いを果たすのではなく、もてあます時間を埋めるためのやむなき仕儀。引退者には、美術を鑑賞する施設や作品と同時に、心象の美術館を育む「絆」も要るのです。

編集中記 【No.197】 Nov 14, 1997

自ら孤独を求めることは(孤独へ逃避する? 配偶者を求めない? 家族生活を顧みない? 高年者であれば、新たな絆づくりを避ける? 周囲が絆づくりを援助しない? ことは)、社会背景に尤もな理由がありましても、美を求めながら美を疎んじる矛盾を生み出してしまいます。この矛盾は、当事者が独力で解消できるほど易くはないです。

編集中記 【No.198】 Nov 19, 1997

趣味やスポーツから得られる充実は手放したくありませんが、日常の、平凡な生活から得られる内面の満足も(時間とともに醗酵し熟成する豊かな心象も)捨てたものではありません。ではどうしたら「豊かな心象」を創り出すことが出来るのでしょう。言葉で表現する? 不自由です。絵に描く? 好みに支配されます。作曲する? 拡張する余地が限られます。言葉と絵と音楽を同時に取り込む大規模な心象を展開する場合でも、必要なのは、普通の生活に「現実の営為」を一つ加えるだけではありますまいか。ここでの「営み」には、趣味や考えの不一致は障害ではなく、知識や経験や表現力や世代の違いも、協働作業が補ってくれると思います。

旅する機会

随想 橡の木の葉(六の四)六四 99-07-30~99-11-19

宿の正面玄関では、痩せ細った父と小さくなった母が立ったまま出迎えてくれました。二人一緒で迎える姿は、結婚後、幾度となく目にしています。子が生まれ両親宅を訪れた時も、子が幼かった頃、山道で迷い夜更けに着いた時も、父と母は、自宅の門前で、宿の玄関で、立ったまま出迎えてくれました。両親の家を去る時は、二人は連れ添って見送ってくれました。

二人一緒で迎える姿と二人一緒に見送る姿が、目に焼きついてしまいました。二人一緒の幻覚が、父の発病直前、娘を泊めてもらった夏休みに繰り返し現われ、懐かしく、また不安にも駆られたのですが、肺ガンが不安と一緒に父を運び去ってしまった今、週末に母を訪れる折、週末に母と別れる際、一人の姿と二人の姿が重なってしまい、うまく焦点を結べません。

随想 橡の木の葉 (六の三)三四 99-07-30~99-11-19

玄関に涼風が吹き抜け、陽射しに建物が揺らぎ、寄り添いながら現われた二人の笑顔は幻のように懐かしかった。

群青色の絨毯を踏んで食堂に入りますと、部屋の四隅に黴臭(びしゅう)が漂い、応接間の習作は埃(ほこり)にまみれ、几帳面な母でしたが仕事の減量が年齢に追いつかず、父の掃除も細部に目が届かず、代わりに私が掃除、黴(カビ)と埃を拭っていました。二人をただ老いたとばかり思っていた私は、痰まじりの咳が続いていたにもかかわらず、父の体には、露ほども思い至らなかったのです。

食器の片づけは父の分担でしたが、ある日、体を引きずるようにして流しに立った父は、母さん、すまないねえ、体が動かないのだよと詫びました。母はその折、尋常でない何かを感じました。ほどなく父は検査のために入院、肺の腫瘍を告げられたのです。

私にはあの日の笑顔が、二人からの別れのように思えてなりません。乾いた陽射しを浴びますと、二人の寄り添う姿が懐かしくいとおしく、子を泊めてもらった夏の日が蘇ります。



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