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2005-05-23

二重生活

随想 青い闇 -8- 18 Apr 2001

この匂い、なんでしょう。

昨日の出来事を反芻(はんすう)しながら走っていますと、ほのかな匂いが視神経を呼び覚まし、走路の灌木(かんぼく)に目を向けますと、馬酔木(あせび)の花が続いていました。

地球の自転の速度が、今の半分だったらよかったです。夜明けが延び、十キロ余計に走れます。

国や自治体は、個人の主体性を、観客化させないで欲しいです。主体の充実や表現の燃焼に関しまして、理念も、限りある予算も、舞台構築に向けてしまいますと、主体踏踊の、状況および環境整備が、ますます遠退いてしまいます。美意識は職業生活に干渉します。しかし食って行くのに綺麗事は通じません。美意識の醸成、および個体の主体的燃焼には、二重生活が必要です。舞台の構築、および壇上の演出は、私企業の採算に委ね、国や自治体は、「個人の誰もが、自ら、最高に燃焼できる土壌」の整備を、請け負って欲しいのです。

随想 繊維問屋にて 97-12-07~98-04-29
66~6792

異端? 異邦? 私はどちらも好きです。異端の政治家ですか。政治や経営に、異端も異邦も存在しません。「二重生活」の一面には、政治があり職業があります。異端や異邦は、他の一面に属しています。権力を利用した蓄財や観念的美学は正統の最たるもの。暴力をふるう番長も荒れる生徒も、学業や運動の成績上位を誇る者も、同じ「正統」に属しています。

一個の内部では、異端や異邦は正統と共存できるとも考えています。できなければ人間は暮らせません。自己の情報を完全に遮断して、一切の営みを社会から隔離した生活が可能でも、関係で成り立つ人間界ではそれは「空無」そのもの、可能不可能の概念さえ適用できません。

正統だけで燃え尽きる生涯があります。画布の地肌からは、異端も異邦も感受することはできないでしょう。画布の布地だけで満ちたりる一生に、美を見出すことはできないでしょう。

辿りついた答は思い想うこと、関係の鉤(かぎ)は思想にあり、普遍化された「私」にある、数年前まではそう結論づけていましたが、今はさらに歩を進めています。

鉤を思想に求めることは、数多(あまた)の過去のくり返し、傑作へのこだわりに留まります。相互に作用する動態思想、などという妖怪が現われたとしましても、それは創造とはかけ離れ、過程にはほど遠い正統のうわ塗りにすぎず、「踏踊」の宇宙には遠くおよびません。二重生活を一重にするのではなく、人間一個のなかで、正統を牽制し、美を創造する構造と機構、および雛型の蓄積が、必要なのだと思います。

クリスマスの季節-35-

寡占媒体では、今までの情報社会では、媒体の性格上、話題がほぼ二重生活の一面に限られていましたので、どうしてもお仕事を(営利や非営利の、企業や個人の、経営や政治を、興行や援助や奉仕を)ヒトの営みの「中心」と思い勝ち、ではありますまいか?

二重生活の一面と一面は、ヒトの内部でも依存と牽制の関係、融和と葛藤の関係だと思いますよ。

23 May 2005

主体踏踊の、状況および環境整備が、ますます遠退いています。



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