« 大雨にご注意! | トップページ | 生きる歓び »

2005-05-13

旅する機会

喩えて言いますと、庭園をそなえ、哲学の道を通学路にする小学校の子(未来)と、そうでない我々の子(現代)の違いです。貧富の格差が大きすぎます。

個人の「得意」は半世紀ほどで滅びますが、自然、および様式美は、普及すればするほど輝きを増します。

随想 繊維問屋にて(5-3)七六 97-12-07~98-04-29


義務の教育に農園が付属し、義務の庭が御苑や庭園であって、義務の通学路が自然遊歩道であればよい……、と想うことがあります。

随想 繊維問屋にて(5-4)一〇〇 97-12-07~98-04-29


小学校裏手の沼には魔物が住んでいましたので、踏みこむ者は容赦なく裁かれましたが、楢の樹海は妖精さえ遠慮して、訪れる子に……、

そう、誰でも選ばれる資格があるのです。扉を叩く者に、自然はすべてを捧げてくれます。自然は訪問者を遇する作法を身につけており、遵法者の資格、能力、経験、境遇、経歴、権力、財貨、精神、感情の一切を捨象、ただ一個の人間として、最高のもてなしで接してくれます。これほど偉大な芸術家を、人間界で見出すことは不可能でしょう。

自然の美を眼前にして、自ら斧をふるい、自然をうち砕くことは困難だと思います。「観念」と「金銭」が、それを強いるのだと思います。

義務の現場が新緑の庭園であり、通学路が照葉樹の雑木林であれば、はたして卒業生は、校庭をコンクリートで塗りつぶし、雑木を引き抜き、通学路を車道に変えることを喜ぶでしょうか。人々は百済観音にペンキをぬり、向日葵(ひまわり)を看板に変えることを喜ぶでしょうか。

随想 繊維問屋にて(5-5)一一二 97-12-07~98-04-29


株式投資はこのMLの基本精神に相通ずる、という趣旨の発言も見かけました。ですが、このMLの自然観は案内文にはありません。管理人自身、書けば書くほど考えが揺らいでしまい、自然観も基本精神も著わす見通しが立ちません。管理人の頭は自我、環境と状況、関係の鉤、二重生活、生活の轍、そして「足元」などいろいろな言葉が絡み合って収拾がつきません。しかしそれでは皆さんも混乱しますので、大雑把に感想を述べますと

都会や郊外で、二次三次の産業に従事している(従事していた)勤労者や家族を想定した場合

自然美を彩りに添える文章では、本旨の所在は自然描写の外にあると思います。このMLでも、文頭や文末に花鳥風月を記述、本文では贔屓球団の優勝話を展開するなど、自然美の記述が、お喋りの添え物や、話題自由の査証になっている例を見かけました。

慰安や逃避の場としての自然は、各自の置かれている状況如何で、必要が薄れもし強まりもします。状況が好転しますと、逃避は観光や娯楽に転じ、慰安は趣味や憧れに変わります。慰安や観光の自然は、読むだけの参加者も楽しんだり羨んだりできますので、私も楽しみにしています。

社会運動としての自然は、管理人は学ぶのが精一杯です。

自然美に溶け込んだ身体の運動は、支離滅裂な管理人の唯一、明解な実体です。この感覚を私は「自由」と表現することがあります。

毎日走っている管理人には、足元の自然が何よりも大切ですから、生活に溶け込んでいる自然についての描写を期待し、通学路が自然遊歩道に変わり、義務の学校が田園で囲まれることを望み、実現するには一万年はかかるであろうと、今日もため息をもらしています。

皆さんはいつも音楽が聞こえていますか。私は近年、音楽だけでなく、絵画も「聞こえる」ようになりました。連載のMLでその辺を詳述していますが、自然にも、音楽や絵画と同様の楽しみがあります。

「踏踊」の情景は人によって違いがありますが、「踏踊」の様式美には普遍性があると思います。しかし現実の職業生活とはなかなか両立できません。葛藤が生まれます。などと延々とお話しますと、混乱がひどくなるのでやめますが、兎も角、自然美を心の中に抱えていますと、生活に落ち着きが出てきます。さて、

ミニ株式投資には専門サイトがいくつもあります。いずれのサイトでも株式投資の精神は、「自己責任」や「損害が出る場合がある」で言い尽くされていると思います。

編集中記 【No.224】 Feb 05, 1999


物心つく頃から、公園の自然美を欲してきました。しかし公園の面積の論調に、報道は、首尾一貫した役割を担っていたとは思えません。通学路の安全についても同じです。

随想 青い闇-4- 26 Dec 2000


草花が好きです。子の頃のデージーやダリアには特別な想いがあります。今も折々車で出かけ、園芸植物店の広い敷地を仔細に観察、住宅街では色とりどりの花壇や洗練された庭造りを、垣根越しに楽しませてもらっています。しかし今の水仙は、自然樹形の自由を欠いている点で、「随想 繊維問屋にて」で触れた水仙とは別物です。

通勤電車の車窓から眺める市街に、皆さんは何を感じます。最初の随想で著わした想いは今も変わりません。伐(き)りつめられ冬は棒杭、夏は煤けた葉団扇に何を?

脳裏に一つの風景が焼きついています。車窓から眺める市街随処に、冬はケヤキが聳(そび)え、夏はシイが甍(いらか)を覆う。改札を出て駅前広場に立ちますと、雑木に囲まれた遊歩道の外側の、並木を縫う自転車専用路を、一人旅の十代が次の家庭を目指して疾駆する、その姿が見えています。

木を伐(き)るのは好きですが、木を伐るのは嫌いです。

走る理由の一つを思い出しました。燃焼の捌け口に窮してしまったからです。例えば政治、例えば地方自治。閣議も、役人の会議も、なぜ一言一句を生で公開し、なぜ寡占媒体は二十四時間報道しないのだろう、と思うのは思想信条とは無縁で、単に密室に閉塞し、蟄居させられた息苦しさ故です。樹木を整枝するには技術と道具が要ります。植木の手入れは職人技、優れた技量は褒賞に値します。素人でも木を伐るのは楽しみでしょう。ですが私の場合、新たな名園を望む気持ちは稀薄です。一方、自由に育った樹木への渇望感は衰えを見せません。その克服を願い、一人旅同様、事故や循環器への影響など一定の危険は承知の上で走ることに決めました。練達した技芸や蓄積された管掌手腕の、庭園美の、借景を構成する巨大な燃焼領域、自然樹形の自由に飢えています。

随想 青い闇-7- 11 Apr 2001


すでに明るくなっていましたが、他県の、ある大規模な公営団地を走っていて蹴つまずき、体が前方に飛びました。

慣れない歩道を走っていますと、蹴つまずくことがあります。三度に二度は倒れずに持ちこたえますが、今日はもろに飛んで、両の手のひらに合わせて九ヵ所、左手の小指と中指の節に各一ヵ所、いずれも小石でえぐったような傷、さらに

左足の膝の正面と外側に、スネにかけ、両手で囲えるほどの擦過傷。因みにこの季節は半ズボンを着用。

高校時代でしたか、日光のいろは坂で、競輪の選手が、片足を血だらけにして、自転車を漕いでいた場面に出会いました。転倒? 腿からスネにかけての擦過傷! 

所持金の千円札一枚限りを確かめ、最寄りのコンビニで洗浄消毒剤を買い、覆いのビニールがとれないので店主に開封をお願いしましたところ、手のひらの血に目をやって「お怪我ですか・・・」

反射的に「まずい!」と思い、膝の擦過傷を見せ「走っていて転んだのです」

この国の歩道は、波打ち、ひび割れ、走っていますと飛ばされる機会に不自由しません。平坦なのは車道です。車道を走る限り、無我の境地でも、考えごとでも、二十年近く、倒れこんだ経験はありません。

わが国の歩道は、歩行者の心の安らぐ場所ではありません。八十一歳と一緒のときは絶望感さえ漂います。自転車に追いたてられ、都心でも郊外でも、まるで高年の歩行者は邪魔者です。

歩くのは安らぎです。自転車を漕ぐのは天翔ける自由です。都心でも郊外でも全土に、平坦で、自転車から解放された歩道と、樹木に囲まれた自転車専用路があったなら、子らも、高年者も、もっと自由に、もっと豊かに暮らせます。

草原に朝の食卓ML掲示板139. 擦過傷 2001/05/05


激しい腰痛から再び衰弱、その診察で、母は骨の老化も知らされました。栄養と運動に気遣い、食事にも家事にも手抜きはなかった筈ですが、父の看病時の衰弱が響いたのでしょう、頚骨や脊椎のレントゲン写真は、医師の説明が要らないほど疾患が明らかでした。骨の健康には日光も必要です。しかし居室の暗さが語る通り、日常の買い物以外で、母は自分から日光を浴びようとはしませんでした。お医者さまの勧めに従い公園巡りを開始、その効き目は予想以上で、肌の艶も回復、先週の診察では「ここも痛くないのですか」と先生も驚いた表情。

登山や山歩きに対比させ、公園の散策を、老い、あるいは幼児で線引く態度が見え隠れします。頑強なときは山歩き、公園は子育てか老後のため、と考えるのでしたらあまりに無欲。

公園に触れたのは第一冊目の随想からです。その頃は、両親と私の生活に接点はなく、公園を二人の視点で考えたこともなかったです。現在、母を案内している公園も、以前、家族を連れて出かけた公園がほとんどです。

十分に走りこんでいる私には、軽い登山やハイキング程度で、息が切れ足に響くことはないのですが、公園巡りと山歩きを「択一」するつもりもありません。その公園の、横並びが気になります。森林や自然を冠した公園には、折々、別種の不満も湧きましたが(歩道や自転車専用路や公園など、日々の充実、日々の歓びに最も大切な「機会」が、宛行扶持で足りてしまう、あるいは我慢できてしまう程度の自負には寂しさも覚えますが)市街地や郊外の公園には、高く太い樹木がまったく不足、敷地は広いのに、唯一の日除けのクスの並木を、刈り込んでしまった公園さえあり、高木(こうぼく)が高木として成長できない樹間も珍しくはなかったです。

五月の炎天下に鑑賞する花一杯は観光行事、麗しさも爽やかさも感じられません。クスの巨木が連なる公園の、草花は、木漏れ日や、水辺や芝生や東屋の周囲に咲いていれば十分に楽しめます。なんと個性がないのだろうと言える程度には巡ったつもりですが、樹木と、清流湖沼と、奥行と、温かさと爽やかさと神秘さで、これは!と思った公園は稀でした。

大樹を欠き、夏の陽を直接浴びた花壇は眩しすぎます。病気を告げられた高年者だけでなく、私まで立ちすくんでしまいます。

随想 青い闇-8- 23 May 2001


私は旅に出るのが好きです。一人旅には特別な想いもあります。十代の一人旅は、生涯の旅の歓びに欠かせません。身近な公園も好きです。自然に囲まれた通学路と自転車道も是非欲しい。

小学校からの帰路、寄り道した畑や林は、半世紀後の今も色褪せません。内外を自転車で走りたいという想いも強烈です。その一方で、名所案内や自然百景のテレビ番組には興味を失いました。今のテレビには、旅に出られない我が身の情けなさしか見当りません。

大切なものを、皆さんも簡単には捨てない筈です。それなのに、潰してしまうのはなぜでしょう。その答えと「独自」に創り出す方法が、自ら著わせば見つかると思います。旅の歓びについては、前の随想で子らの旅に触れ、旅の機会均等については、今回の随想で気ままに書き綴っています。

随想 青い闇-9- 08 Jun 2001


国内であれ海外であれ、高校生は個人で自由に旅行を楽しんで欲しい、その移動には自転車を! 宿泊にはホームステイを! が私の夢です。海外に出かける際は、航空機利用の援助の仕組みも作りたいとは思いませんか?

随想 橡の木の葉 (六の二)三一


狭い五室に五人が住み、縁側はなく廊下は短く、トイレは一個所、階段は歩くだけで家が揺れ、部屋の話し声が道路や隣家に漏れてしまうという住宅では、つまり日本の一般的住宅事情では、ホームステイに応じることは難しいです。

一方、ゆったりした応接間に長い廊下、寝室1、洋室3、和室1、食堂1、広い風呂場1、洋式バストイレ3、来客用トイレ1、キッチン2、洗濯場1の住宅に老夫婦だけが住んでいる場合は、数人のホームステイを受け入れても、老夫婦の「寝室」は乱されないと思います。

前者では、滞在者ばかりでなく家族全員もストレスを感じ、滞在が長引くと人間関係にも響きますが、後者では無聊の折、生徒や学生を預かることが、老夫婦の刺激になり生活の張りになるかも知れません。

恵まれない住宅事情であっても、子どもが自活して一人減り二人減り部屋が空くと、ホームステイに応じてもよいとする夫婦が現われても不思議ではありますまい。但し、広い家でも狭い家でも、信頼できる援助者がいないと受け入れは極めて難しくなります。「権威」による身元の保証、および関係者による十分な打ち合わせ、事前準備の手伝い、受け入れ時の立ち会い、後始末の手伝いが欠かせません。

通常の生活に「家族」が増える、その増えた炊事と洗濯と掃除は主に協力者の援助に委ね、火星人が来ようと原始人が滞在しようと、家人は普段の生活を頑なに押し通す。特別に構えると負担が増し長続きできなくなります。

編集中記 【No.146】 Aug 28, 1997


今の日本では、高校生が自力で旅行することは望み薄です。しかし、例えばホームステイ網が整備され、電子メールによる連絡が密になれば、高校生は自転車1台とわずかな費用で、北海道から沖縄まで、一夏中、走り続けることができるようになります。

子育て真っ盛りの世代には、金銭も住宅も余裕がありません。では、この種のシステムづくりに力を合わせるのは若者ですか?

編集中記 【No.147】 Aug 29, 1997


毎朝走るだけでも、陽光に溶けこむことができますから、輝くことは、あるいは黒光りは、運動によれば容易に実現できます。

高校の子が練習を重ね、計画を詰め、予算をひねり出し、男の子と女の子が、運動目的の宿泊旅行に出かけたのですから、輝かないわけには行きません。

相棒との旅行はスキーシーズンに限られました。わずか三年間でしたから、回数も少なかったと思います。しかしこの楽しみこそ、高校生活の真価ではありますまいか。

現代の高校生は、部活ではなく個人の資格で、男の子と女の子が、外苑を歩きながら打ち合わせ、春や夏の休暇を、運動の宿泊旅行にあてることができるのでしょうか。丸暗記や条件反射の塾勉が、本人の一生にとっても社会にとっても、どれほど役に立つかは知りませんが、あの自由の機会を、なんとしても現実化したいです。

費用のことも考えてみました。我々の足元では、組織されたホームステイ網はホの字も見当たりません? 貧しいのです我々の社会は。

随想 繊維問屋にて(5-5) 一二六
大雨にご注意!



|

« 大雨にご注意! | トップページ | 生きる歓び »