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2005-04-26

ヘンなこと言わないで下さい

私の随想は、先の十冊と「随想 繊維問屋にて」以降に違いがあります。内容の難易は関係ありません。第一冊は誰でも読める筈です。

「随想 繊維問屋にて」はMLで連載した最初ですので、前半は明らかに失敗でした。内容のお粗末は私の随想で唯一、首尾一貫している点です。失敗は、連載の文章を優先して、文体を直さなかった点です。後半はリズム感を意識しながら連載しましたので、大過なかったと思います。(※過日サイトに載せた際、多少凸凹を減らしました。)

「随想 中町にて」は、連載時の内容に関係なくリズム感を優先、「随想 橡の木の葉」は、連載時の硬さをサイト版で曲げ、単行本ではさらにリズム感に気遣いました。

三信図書にお願いした最初の随想は非売品でした。三信図書に出入りの、Sさんに勧められて出版した市販本は非売品の「複写」です。

二冊目は一冊目の、三冊目は二冊目、四冊目、五冊目は三冊目、四冊目の上がりに負っています。それが優遇された条件かどうかは、本の業界に無知なので分かりません。出版洪水に阻まれてからは、荒牧さんの好意なしでは挫折したでしょう。憶測ですが、青山さんも荒牧さんも、ご本業とは違った分野への拘りが、あったのかも知れません。

過去十冊の出版を両親は知りません。「繊維問屋にて・中町にて・橡の木の葉」の三冊は、両親へ贈るための出版です。「繊維問屋にて」の見本を届けた際、病床の父は、手にする気力もなかったです。

十冊の随想を献本した際、ご返事を頂いた顔触れは予想に反していました。

献本の都度ご返事を頂き、中町にもご来店、中町を引き払った際は、宛先不明で届かなかったお葉書を、半年後、転居通知を発見した奥さまが、お便りを添え、転送して頂いた方もあるのですよ。封緘にも奥さまの優しいご配慮。

病床で単行本を読む困難は、父の闘病中に学びましたが、入院中の先生からもお便りを頂きました。「……『随想』という文字に安心(?)してベッドで……」

私は随想に経歴を載せませんので、想定していた十冊の読者、つまり「誰に」は、本文だけを頼りに著者を見抜く必要があります。毎日、届く郵便物が一メートルにも達する知識人は、見ず知らずの著者の本など触れることもないであろう、況して学問の世界は権威になればなるほど、返事は出すまいと思っていました。

私の随想は中途から見出しを「デッサン」に統一、やがてデッサン一つが一冊の随想になりました。「デッサン」の見出しは最終巻まで通し番号ですので、インターネット以前に著わした随想はたった一冊!

新卒当時は、文章をよく直されました。自分だけが解っていたのです。今もソウ? ヘンなこと言わないで下さい。絶対に違います。今は読み返しますと、自分でも、何を書いたか解らんのですから。

著わすようになってからは、人生もハヤ黄昏(たそがれ)ていましたので、ヒト一般の意見も耳に入るようになり、気になった言葉が「誰に」と「文体」

無数は痕跡、二つは一つ
Aは一重、Bも一重

文章は私の場合、初めは「誰に」は頭になかったです。静物や風景を描いてしまって、「見て下さい」と同じでした。著わす際に考えるであろう筋や構成も白紙でした。

唯一の頼りは観察です。当時、大学の同期の一人は、文章は一頁も書けないと話していました。しかし、例えばニラの花を、次いで葱坊主を、さらにタンポポを順繰りに描写すれば、原稿用紙は埋まります。

絵の描き始めに似てません? ただ、私が選んだ畑は、農家のそれではなく、暮らしの軌跡の畝(うね)でした。

中町のお客さんで、店を手伝ってくれる方が現われました。RV車や、排気量の大きい車を運転され、お仕事をなさり、活発に活躍されている皆さんです。

何しろ私一人です、子連れの子がオシッコと言えば、トイレも掃除しなければなりません。見かねたのでしょう、やがて折々手伝っていただき、肝腎の主(あるじ)は、店の二階でオフコン操作。

中町の店を、待ち合わせに利用(中町は道路が狭く駐車場難)、そのお礼だったかも。

午前は埼玉県の事業所、午後は武蔵野市のお店、夜分は都心の事務所、移動は早朝も深夜も。書き始めたのはそんな頃です。

中に、理系の出版社を経営なさっているご親族がいらっしゃいました。スーパースターの来演に関わっていたご主人も。

どちらも私の書き物とは関係ありません。当時、私の自意識は何処かに飛んで行ってしまいフ~ラフラ。一方、皆さんや皆さんのご親族はキラキラ輝いていらして、特にお一人のご主人は、「誰でも知っている会社」の所属、その会社が開発したスーパースターの宣伝物(Sサイズの上衣と腕時計)各二点を頂き、子に与えた折は頭も心も透明人間。

「……山積する郵便物のため、御礼を申し上げるのがおそくなりましたが、御労作は暇を見て懸命に読ませていただきました。まだ十分に理解できるところまでには到達しませんが、問題意識の所在は明らかであり、また共感されます。『他者』とのディスカッションによって、このユニークな御労作が、ひとりでも多くの人にこなされるようになればよいがと思われます。」

「……小生は正月早々、風邪をこじらせて入院しましたが、悪性の肺炎を併発し、今月はじめどうやら命拾いして自宅に帰りました。その間、山のようにたまった郵便物の整理や雑用に追われながら歩行練習をしている状態です。……」

「……八月下旬から九月上旬まで、例によって、気管支炎で入院したため、……、私の方は上述のような健康状態もあり、自分の仕事の方がいよいよ遅れ、昨年秋に出たゲラの校正がまだ終了せずに机上にむなしく置かれている、という状態です。これからまた冬という私の健康にとって最悪の季節が迫っているのでユーウツです。……」

最初の随想を献本する際、想定読者を知識人に絞りました。しかしインターネット以降は違っています。「誰に」の必要条件は、不特定多数の一人から。

現在はさらに変わっています。「誰に」が要らなくなり、表わすのが「参加資格」になっています。引用した先生のお便りの意味、今頃になって解りました。今はインターネットがあります。誰もが表わせます。折角の機会、大切にしたいです。

初めは文体を意識しませんでした。「言葉は意味」程度の認識でしたから、文体は二の次で、分析力、概念の新しさ、方法の独創性、深遠な世界観を意識しました。

気づいたのも早かったです。社会科学の書物を濫読、結果、こりゃダメだ!

自分で考えるのですが、著わしてから古典を読みますと、なぜか同様の概念を発見して憮然。

理解力と記憶力の劣る私は、自ら著わさないと、先人の書物を理解できないのです。

世の中は広いですから、大概は先人の著作で間に合ってしまいます。表現だけでなく、政財軍報の、多くの言葉も同様でしょう。しかし日々刷新しませんと、「現在」はほとんど出る幕がありません。無理ないです、俺が俺がの横行も。

「何よりも借り物でない、自分で考えた『思想』に感銘しました。」

「……『随想』という文字に安心(?)してベッドで拝読しました。」に続くお便りが上の引用。思想には「借り物」と「自分の物」があったのですね。ヒトの描いた絵は永久にヒトのものです。描かないヒトは永久に描くヒトの世界に立ち入れません。ところで、描くと著わすは没交渉?

次第に文体を意識している自分に気づきました。音感ゼロの私ですが、九冊目や十冊目の随想は、ある交響曲を聴きながら読めるように合わせてあります。「ながら読み」しますと、繰り返し読みが可能になります。発見でした。聴くだけでも読むだけでも味わえない興趣。その頃からです、例えばですが、見解を「否定する」と書いた箇所を読み返して、リズムがヘンな場合は、ヒテイの三音を、コウテイの四音に改めるようになったのは。

十万字や二十万字の中の、否定一箇所を肯定に改めても、曲がる程度は知れています。文章も「表情」が大切です。編集者や、校正者や表紙絵が介在する、誤字のない、活字の綺麗な書物の方が、表情の変化の度合も著しいのでは? 小学生が描いた水門の絵に、朱を落としても、絵の個性は伝わりますが、大人が風合いを変えてしまえば、見飽きた入選作が増えるだけです。

色感もいい加減ですので、絵画と書物にも共通項が多いと思ってしまい、色の世界にも立ち入っています。「自らは表わさず、暮らしの場は非常識」は困りますが、表現の場は「無常識」がいいですね。

梅雨時は、濡れながら走るのが気持ちよいです。気温が高い朝は、粉糠(こぬか)雨より本降りですね。濃紺無地のTシャツに、水泳兼用半ズボン。Tシャツは問屋街で三着○円。半ズボンは量販店の学校指定着(子の着古し)。

今朝は汗でびっしょりでした。本降りなら雨と一つに! この感覚、ご存知の方、少ないです。美感の優れたヒトも、描くだけでは、雨の気持ちは判らないでしょう。体育館で走っているヒトに、如雨露(じょうろ)で水を注ぐ?

蛙と一緒に、田圃(たんぼ)の際(きわ)を走ります。

「雨と一つに」も運動ですが、競技としては成り立ちません。大規模施設は要りませんが、借景を復する場合は、途方もない年数、例えば百年単位を要します。

二者択一ではありません。運動にも絵画にも文章にも、二重の暮らしがあるのですね。「創作」で触れたBの暮らしに、満ち足りることは難しいです。一方、Aの暮らしには、市場には、「雨と一つに」が見当たりません。

融合は構造的に無理でしょう。個体内部での牽制、あるいは葛藤。片側に傾けば、競争を勝ち抜く道筋が見えてきます。片側に傾けば、「雨と一つに」を享受できます。その葛藤に、暗さも孤独もないと思いますよ。困難なのは、「雨と一つ!」に値する美を、市場に譲れない作品を、誰もが幾重にも表現すること。何処かに落ちているとよいのですが。

2002年6月下旬
クリスマスの季節-27-


小学校に教室がなかったらどんなによかったでしょう。授業なんて何もわからなかったのです。ただただ下を向いて、ベルの鳴るのを待っていました。教室なんて関係なかったです。ですが私は、当時も今も、善いことが善いと分かり、悪いことが悪いと分かりますから、教室なんて必要ないです。政治や経済の高処(たかみ)から、現場に立たずに御託を並べ、右を左と言いくるめ、自らは痛みを回避、泥濘に爪立ち(←ある文学者の言葉)、諸事総花評論でお茶を濁す大人たちは、小学生のころ教室で勉強をし過ぎたので、頭脳疲労に陥り、道理とか社会的公正とかが、分からなくなっているのでしょう。

校庭と通学路


茨城県や千葉県の風土が今頃になって、朧気(おぼろげ)ながら分かるようになりました。半世紀以上も関東地方に住んでいながらこの為体(ていたらく)。況(ま)して他国のことなど、ほとんど何も知りません。凄いですねテレビで拝聴する総花論者は、絶え間なく発生する時事を右に左に論断して、世論形成の大役を果たすのですから。ジャーナリズムの使命って何だろう?

大役と使命


支配権の奪い合いは五百年先も千年先も日常茶飯事、なにも情報技術論を持ち出す必要もないでしょう。溜め息は寡占媒体の現実および将来からではなく、寡占媒体を占有する総花表現者とブログ表現の共通性から。

マスコミに白旗を掲げる


昔は緑が子の足許にありました ←機会均等の土壌
今は緑が高楼の装飾に変化 ←一極集中の絡繰り
遊びたくても遊べませんよわざわざ出かけて行きませんと
寛ぎたくても寛げませんよお財布に余裕がありませんと
加えて時間と場所の集中による渋滞と駐車場難と混雑
戸外での律動から、情報媒体に閉じ籠もる性情へ
踊る総花評論 ←仮想現実化社会での錬金術
閉塞度の強い管理社会へ ←涙国の生活力学

対比


サイト開設のすすめ
書くも描く同様「自然」なことでは?
誤字も訂正しないで欲しい
どっちでもいいや



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