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2005-04-25

夢の中

公孫樹を越して楢や楓の路地を進みますと、急に開け、幼稚園前の広場に出ます。幼稚園にも砂地にあり、園舎がうなぎの寝床状に延び、園舎と同じ形の園庭が南側に並んでいました。児童公園の灰色の砂と違い、明るい薄茶の、肌理(きめ)の細かい砂でしたので、陽の当たる園庭では、寝転んで砂の感触を楽しみました。

夢の中、なのかも知れません幼稚園時代の自意識は。立ちどまる子も、まとわりつく子も、甘える子も、無心に楽しみ、悲しみ、怒り、迷い、瞳を凝らし、耳を澄ます子の心には、襞(ひだ)も影も見当たりません。

線路にへばりつく私鉄の駅の、下りホームは屋根なしでしたが、ハナイカダの徒長枝がホームにかぶさり、俄か雨を遮(さえぎ)ってくれました。ある土曜の昼、待てど暮らせど来ぬ電車に痺(しび)れを切らし、ハナイカダをしげしげ眺め、造化の妙に、溜め息をついたこともありました。

胸の厚みの、倍もあるランドセルを背負い、大学生そっくりの帽子を被り、幼年学校の詰め襟と、腿まる出しの半ズボンと、黒い編み上げ靴の小学生を、乗客はどのように眺めていたのでしょう。鬱陶しいです上辺の意匠は。大きく踏み出しますと、内部からも外部からも孤立して異端や異邦になりかねません。帰属意識を深めますと、幼い心を置き忘れてしまいます。孤立はもっと危うい。もがけばもがくほど底なし沼に沈んでいきます。ですが透き通るような澄んだ響きは、底なし沼を突き抜けてみませんと、分からないこともあるのですよ。

自宅の最寄駅は小学校の隣の駅で、ホームからせり出せば見える距離です。線路の脇には、細い砂利道がありましたので、電車に乗る必要はなかったのですが、一時期、私鉄を利用していた記憶があります。

線路沿いには枕木の柵があり、線路内には入れませんが、駅と駅の間の、砂利道が線路を北から南に渡る箇所に、遮断機も警報機もない踏み切りがあり、線路に耳をあて、車輪の音を聞こうとしたこともありました。

私鉄駅前の商店街も思い出深い場所です。車のすれ違いやっとの幅で、しかも車など見なかったのですから、一年を通しての歩行者天国。ランドセルを背負った子がふらふら歩き、両側の店を交互に覗きましても、危険も苦情もなかったです。

先ず鰻屋。食べさせる鰻屋ではなく、土間で裂いて竹串に刺し、店頭で焼き、その場で売るお店の、魚篭に入った鰻と泥鰌(どじょう)が、釣り好きの子を惹きつけました。

鰻屋から数軒先は間口の狭い天婦羅屋。店先に油の入った大鍋をしつらえ、揚げ立ての野菜天を売っていました。通りには日当たりのよい床屋もあり、人見知りのひどい子も、気持ちよく寝かせてくれました。

商店街の道を右に折れ、汚れた小川に添って進みますと、【その40】の夜道に出ます。ここで編集中記は無限にループ、世界一長い読み物になっては困りますので、夜道の手前で左折、パン屋から交番、駄菓子屋、三軒だけのマーケットを経由すれば我が家でした。

闇夜を歩くにはコツが要ります。木立や塀に遮られ、一筋の明かりもない夜道を歩きますと、水溜まりに足をとられ、倒れてしまうこともありますから緊張します。顎を上げ、前方を見下ろすように目を凝らしますと、かすかに光る地面が見えてきます。光っている箇所を慎重に避けながら、闇にもたれるように進みます。

手探りの始めは気が張ってよいのですが、次第に進みますと、目が闇に慣れ、見えなくてもよい影が走ってしまい、思わなくてもよい妄想が湧いてきます。つまり怖くなる訳。生温かい風が首筋をなで、幽霊のうめきが心臓をえぐり、鳥肌が立ち、我慢しきれなくなって走り出しますと、もう闇も水溜りも関係ないです。靴はぐっしょり。パンツまで水が染み、帽子にも泥が跳ねます。

May 19, Jun 22 - 25, 1997
編集中記【その40、78~81】
昔の今 昭和二十年代?



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