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2005-04-28

俺は親父さんの子なんですよ

色も音も文も、観に行くの、憂鬱ですね~。

手伝い全員で片付けを終え、お父さまとお母さま、Y君(高校時代の友人)、それに衣裳と花束を積んで、虎ノ門から走り始めた時は氷雨が降っていました。皆さんはお疲れなので、窓を開けてはご不快でしょうと、手でガラスを拭き拭きの運転でしたから、俺の運転、大丈夫だろうかと、心細かったです。(←※学生時代の話)

Y君のご親戚とも顔見知りになり、その方のお話から、演奏会の位置付けが解かるようになりましたが、仮に券売りを頼まれましても、売り先に心当たりのない私に、本職の矜持(きょうじ)でしょう、Y君は金銭のお話は一切、口にしませんでした。初めてお手伝いした時、お客さまから「当日券を売って欲しい」と申し出られ、音楽家の暮らしにオネンネだった自分が恥ずかしくなりました。迂闊にも、入場券が売り物とは気づかなかったのです。

歌手や作曲家とは違い、Y君のお父さまのお名前は、半生の紹介番組などを除いて、ほとんど表に出ませんでしたが、哀調を帯びた独特の調子に、男女の別なく愛好者がいらっしゃいました。番組主題歌や映画音楽に組み込まれた音の響きで、私にも、お父さまの演奏と判ったのですよ。

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中町の話で触れたスーパースターの、世界に知られた表現者の来日公演を、私が宣伝物を頂戴した奥さまは、舞台直下の席で楽しんだそうです。舞い上がってしまい、舞台に声を掛けたところ、ナント、アチラ様も奥さまに身振りで応答。子持ちの中年世代です。まあ、どう贔屓(ひいき)目に見ましても、うら若き乙女には見えませんでしたが、精神と感性は年齢を超越、宙を飛んでいたのですね~。

Y君自身の演奏も、タダ券で聴いたことがあります。新宿の、芝居や集会が開催される名の通った会館ですが、着た切り雀にも抵抗感はなかったです。

指揮者はテレビで馴染み。交響楽団の名前も知っていました。初めて聴く生演奏です。名曲。チラホラ空席。Y君の前には、あのデッカイ太鼓、そう、ティンパニーが並んでいました。さすがに掛け声は遠慮しましたが、その時の私の気持ちは、スーパースターを仰いだ奥さまと同じかも。

サーカスの楽屋なら、友人のお父さまの演奏会なら、掛け声に応えてくれるスーパースターの公演なら、Y君の演奏なら、万難を排して出かけますが、技術・設備・内装の傑出した豪華施設で、絢爛を極めた貴顕に交じって、古典を鑑賞する資格は身分、金銭、衣裳、立ち居振る舞い、話術、協調性のいずれも私にはありませんので、CDとヘッドホンの組み合わせで足りてしまいます。

銀座のA面も憂鬱ですね~。

同級生(高校時代)の一人は銀座の老舗のご子息です。また私の両親もお世話になり、専門書を何冊もご出版なさっている専門家も事務所は銀座。私には、普段は銀座も百貨店も無表情。しかし、表現が絡みますと話は別。

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銀座ではありませんが、昨夏、お中元の発送を頼まれ、昼休みに百貨店に出かけたことがあります。隣りの建物の、書籍売り場に立ち寄った後、高級車が待機する側から入館したのが間違いでした。外国の、秀麗なご婦人が幼い子連れで外車を降りた、その時、子が愚図ったのですね。持て余している玄関脇から、ダークスーツの長身男性が駆け寄り、奪うようにしてご婦人の手荷物を捧げ持ち早速お供、まあ、私には見慣れた光景ですが

その際、ご婦人から見えない角度を歩いていた私が、悪く言えば、長身男性に突き飛ばされたのですね。中学生の頃から、百貨店は身近な万屋(よろずや)でしたので、限りなく立ち寄っていますが、風采ゆえでしょうか、出入れ業者に間違われるのでしょうか、男性社員に道を譲るのは私が相場。

新規事業に携わっていた頃は、百貨店外商部も大切な見込客でした。海外契約先の東アジア代表部は、日本の老舗百貨店にも出店、企業向け拡販の際は外商員と同行販売、具(つぶさ)にご活躍も拝見していますので、百貨店の大切さは十分に理解していますが、自分の暮らしに戻りますと、百貨店の美術品売り場は殿上人の世界、息苦しく、逃げ出したくなるほどですから、高級百貨店で開催される展覧会も、出かけるのは憂鬱です。

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以前面談させていただきました銀座の画商(社長)は、有力何指に入った筈です。近寄れる世界ではなかったですね~。えっ? 被害妄想?

食べて行くのが、簡単とは思えません芸術の世界も。はっきり言って、百貨店の美術品売り場や銀座の画商にとって私は邪魔。無常識の世界に出合えるといいですね~。

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高校や学生時代は、日曜最終の映画が終わってから、歩いて帰る荒涼とした銀座が好きだったと書きましたが、もう一つ、銀座には好きな景色があります。料飲店の、客席の反対側。

新卒当時は、経営計画と営業計画が渾然(こんぜん)としていた部署に配属され、その両方の業務に従事、部員は机上本位でしたが、会社が発展するにつれ、経営計画は独立移転、営業計画は部署ごと「窓際」になったことがあります。実際には、下っ端(私)の見えないところで営業の計画業務が起動、その部隊に飲み込まれて窓際も解消、以前の同僚と上司ほぼ全員は配置転換、新しい顔触れは営業第一線の実力本位、私は業務引継ぎの便利屋として、新しい部隊が「過去」を吸収する数年に限り、残されたと理解しています。新しい部課の中上級管理職には、戦略立案部門を経験して、より重い役職に就任する階梯の位置付けもあったようです。その一人に私の直属の上司、Jさんがいました。

仕事が捗(はかど)ったのは、一から十までそのヒトのお蔭、みたいな先輩や上司、皆さんにはいませんでしたか。調査・分析・予測(←※これらの業務の便利屋でした)を除く、特売、商品化、営業計画立案、根回しの悉くを私はJさんに負っています。文章力も凄い! Jさん曰く「○チャンはクールにすぎるよ」 因みにここでのクールとは、格好いいではなく冷たいの意味。

Jさんの通称が「銀座のJさん」 高級料飲店の経営者から、神様のように尊敬されていました。無論、経営指導の的確さで。

何度か連れて行かれました。Jさんが現場から離れたことは、どこのお店も知っていました。そのJさんに従う金魚の糞ですから、私もお客扱いされません。デッサンには格好の条件です。凄腕が競う職場の、迫力に満ちた表現力、半端じゃなかった。

宝飾店や高級服飾店の立地同様、銀座の画廊の立地も偶然ではないのでしょう? 消費者志向という言葉、徹底して習いましたが、画廊もピンキリとは言え、銀座で個展を開く作家は、見込客を想定して描いていると思ってしまい、やはり出かけるのが憂鬱です。

私の配置転換の内定時は、Jさんにご迷惑をおかけしました。あの折の業務は私の後輩が就き、その後年を見ますと、恵まれた階梯だったことが判ります。しかし私は週末になりますと、既に「店」の調整役を担っていたのです。二足の草鞋ですね。二重生活ではありませんよ。東京を離れるのは無理でしたので、退職を申し出たのですが、実はもう一つ、就けない理由がありました。労働組合に従事した結果、社員一部の思想信条も知るようになり、あの折に内定されていた業務とは両立が困難でした。

どちらもJさんには話せませんでしたが、辞めないでと、改めて骨折って頂けたのが新規事業。

しかしまあ、生い立ちもあったのでしょう、神田の「店」(私は従の立場)に対しても、所詮、クールに過ぎました。勤めのすべてが結着した時、親父さん! 本当に哀しそうでしたね。ヤッパリ、俺は親父さんの子なんですよ。

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憂鬱と文章の関係ですか。書けば書くほど自己嫌悪に陥りません? なのに、寡占媒体で拝見する言葉はお元気ですね。あるいは、常に正しい、と申し上げた方がよいのかも知れません。

先に触れた先生の、晩年の書物でしたか、あるいは晩年になられた時、私が拝読した書物でしたか、曖昧な記憶で申し訳ありませんが、お歳ゆえに、分かり切った人物の名前を、間違えて記述した「お詫び」の載っている書物(特定の版)を拝読したことがあります。

人物名は、筆者本人でないと正誤を確認できない場合があります。例えば価値観に関する記述で、思想家の名前AをBと記述しましても、執筆者が権威ある場合は、あるいは寡占媒体で活躍している場合は、傾聴する側は、Bに「隠された思想」があったのかと考え込んでしまいます。

「これから」を記述する場合はもっと厄介です。その場では正誤が判らないからです。結果が記述に反していれば、事後になっても誤りは誤りです。ところがこの種の誤りに触れ、訂正やお詫びと、誤ってしまった原因や理由(予実差異分析)の言葉が、アマリ見当たらないのです。

暮らしに影響はないのでしょうか。ありますよ。未来に対する判断と選択を誤れば、暮らしは流れに翻弄される笹舟です。

未来は、演技力や闘争力に拠るのではなく、予実差異分析を公開して、なお説得力を維持できる(補正を担える)若い世代に委ねたいですね。

六月(2002年)は今日で終わり。今朝は雨。

クリスマスの季節-28-
自尊心



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