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2005-03-16

気の満ちている素敵な市場

築地の場外市場での出来事です。高校生の年齢でしょう、活きた貝の売り場で、金縛りの外国人に出合いました。たった一人で、身動(みじろ)ぎもしないで見入っていました。

背が高く、視線を絞り込むのは無理でしたが、サザエからアワビまでの何かに釘付け。嬉しくなってしまい、貝を見るフリをしてはジロ! 路地の外れで折り返してはジロ! 貝とカニをまとめて撮るのに邪魔なので、場外市場界隈を歩いた後も、金縛りは解けていませんでした。

建設的な決定も破壊的な決定も、「決めつけ」から始まっています。何々だから非、何々だから改革の、何々が明らかにされません。悪も貢献も、言葉そのものの意味は動きませんから、決定前に決めつけられますと、是非を判断する材料を失います。非を除かないと破壊される、何々は機密に関わるので説明できない、約束事と合議体を無効にするのに、このほかの言葉は不要でしょう。

当面の説明だけでなく、なぜそれが必要になったかの歴史的背景も示されませんと、決めつけの呪縛は解けません。

新線も、地目の変更も、高さ制限の緩和も、戦争も、一度下された決定は何世紀もの生活に影響します。

決めつけによる改変と、合議を退(しりぞ)けて突出する歴史が、二十一世紀の初頭も繰り返されています。

現場に立ち、観察と説明と合議を重ね、決定に際しては対等の力と競って欲しい。しかし今は

暮らしの現場で、働きを認められた采配者は何人いるのだろう。観察は現場の属性です。重要な決定事項が、決めつけから始まってしまいますと、約束事も合議体も、追認する儀式に変質します。

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 波除(なみよけ)稲荷神社

 築地市場

 引き売りの準備

都(みやこ)の真ん中に市場(いちば)を欲しくないのかな~、神田も築地も、もっともっと素敵な市場を。

詰められるだけ詰め込んでしまえば、どこも狭くなるのが自然の理(ことわり)。

なんか涙国のヒトは、暮らしを頭(あたま)だけで差配しているみたい。生きものは「気を発している」ことを知ってます?

天日干しをやめ、冷風乾燥機で量産した干物を、全自動乾燥洗濯機で洗い流し、作業所で骨を抜き、ほぐし、何が何だか判らない食材を、技術で旨味を引き出し、話術で見場を装い、食卓の華美に没頭するのが今のトーキョー。

だからなんですかね~、涙国には、法律はあっても「法律」がなく、制度はあっても「制度」がありません。鉤(かぎ)括弧は気の世界を指しています。つまり住環境も「無法地帯」。

気が満ちている素敵な市場(いちば)とは、視界が開けていること、どのお店も路面に接していること、無数の小さなお店が支えていること、散策するだけで楽しくなること、内外の観光客が、好奇心を抑えきれずに訪れる場所。

 神田市場跡 2004年3月末

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