半世紀後










最初の連絡が入ったのは<、先週水曜日の残業時刻帯でした。
今週末、出かけませんか? ○○シリーズの仕事が終わって一段落しました。得意先が開く打ち上げ会が済んだら、すぐ○○の仕事が始まります。今週末を外すと、次はいつ休めるか分かりません。先輩の○さんから「行くなら今」と言われ、二人とも出かけることにしました。○さんは○○方面。○さんのお薦めは下田の○○。のんびりするだけの旅です。すぐ返事を下さい。
先方は仕事柄、旅の情報は豊富。一方、私は出たとこ勝負。最寄りの旅行社に出かけ、「どこでもよいです。今週末(四月三日)に泊まれる宿はありますか。」
下田の○○は満員でした。二ヶ所は気が向きませんでした。一ヶ所は一月に出かけています。一ヶ所は印象の湧かない場所。次が今井浜。
「でも、指定席は大丈夫なの?」
春休みなのに大丈夫でした。相棒に連絡。了解を得て、家族四人の一泊旅行が成立しました。
今井浜へは、中の子が生まれてから(?)家族で、海水浴へ出かけたことがあります。マンションのような宿に一泊。
私は小学生時代と中学生時代に数度、数日ないし一週間ほど泊まっています。宮さまの別荘か何かだった宿。平屋の民家の質素な客間が、浜のほうに続いていた記憶(←曖昧)。中学時代は昼も部屋の真ん中に蒲団。気持ちの悪さと鈍い痛み。気分のよい時は、開け放した縁側から跣(はだし)で波打ち際へ。
元気な時は磯遊びに夢中でした。イソギンチャクもムラサキウニもヤドカリもカニも、ゴンズイもベラもフグもハゼもウツボも、フジツボもサザエも縦縞の幼魚も原色の小魚も。
背がギリギリ立つ磯の深みで、波に揺すられながら水中を覗くのが楽しみでした。
砂浜の波打ち際でも小魚が走り、足に触れるのが判りました。チューブの浮き輪で波に漂うオジサンが、竹竿でシロギスを釣っていました。簡単に釣れたのです。
載せた写真の磯で、皆で見つけた生きものは、磯ノリとイソギンチャク、それにミリ単位のヤドカリと貝とフナムシ程度。今はよく探さないと見つかりません。シロギスも少なくなり、浮き輪での釣り姿は消えたそうです。
サーフィンは盛んでした。駐車禁止の看板前にもサーファーの大きな車。
翌朝、電車の時刻表を調べに今井浜海岸駅へ。七時二十五分発の熱海行が入った時は乗降客も駅員もゼロ。駅の奥の駐車場は落石危険の標示と鎖で、自然の雰囲気が戻っていました。鉄道の山側の斜面には会社の保養所がいくつも。荒れた印象。
四日は移動にタクシーを利用しました。以下は運転手さんとの会話です。
○○の源泉は三キロ離れた○温泉ですよ。冷されて丁度よい湯加減になります。
○温泉は家族で泊まったことがあるよ。湯が噴き出す場所があるね。
別の施設ができてからは、噴き上がる様子は見られません。
お客さんは減ったままです。道路も以前のようには混まなくなりました。会社の保養所は軒並み閉鎖。マンションも空室が埋まりません。マンションのお客は、掃除に来るのでしょうコンビニで食品を買い、いくつもゴミ袋を出して帰ってしまうのですよ。マンションが眺めを壊してしまい、観光客を呼び戻すのによくないです。
帰宅後、相棒から電話がありました。楽しかったよ、また声を掛けるよ。私も、楽しかったよ、大いに歓迎するよ。モノクロ写真は1958年の夏休み。
| 固定リンク





















