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2005-03-11

だから涙国……

虚実一路、大規模化を目指した事業者を、私がはじめて意識したのはお勤め時代(1960年代後半~)、やや迷惑な印象をもってでした。当時は野に立つ側の事業者に、各業界の既存大手に向けた、反発心がなかったと言えば嘘になるでしょう。やがて経済界もマスコミも挙(こぞ)って称える大規模事業者へ。

采国の某社は、新興社会での生産に際して、直接工場を訪れ、仔細に調査した上で生産を委託、技術と設備と信用だけでなくタイムカードも点検、最低賃金制遵守の確認、違法な労働行為の有無を調べ、生産力の合否以前に、労働条件に疑問がある場合は端(はな)から取引を回避する姿勢。

当然なんです。その当然が、当然でない先進社会もあるのですね。←先進と呼ぶほうが不自然。

重箱の隅を、楊枝(ようじ)でつつくだけでは気が済まないほど細部まで点検する社会。朝採りでも萎(しお)れた菜っ葉は返品。一ミリでも織り傷は不良品。針小でも化粧ムラは不合格。新鮮で栄養も豊富。とてもお洒落。ひと月すれば判らなくなる。なのに、資源が浪費されても働きが無駄になってもそう。

見場も実用も、何ら不都合のない新品も、些細な難を理由に外してしまう社会。では、何なんでしょうね繁華街や道路や住宅街は。

商品と技術を、ただ単にお金儲けの方便として扱い、土地を錬金術に変えてしまう商法は、国を破綻に導く一里塚。

労働者は(単に労働者ではなく、誠実に働く労働者は)必要な残業をすれば割増しの賃金を受け取り、休日は休み、年に何度か有給休暇を取得する権利が、優良企業だけでなく、派遣労働者にも業務受託会社にも請け負い会社にもあるのですよ。

下支えする派遣労働者や請け負い事業体の、賃金や就業規則や社会保険や健康には関与せず、優良会社の社員だけ豊かになれば足れりとする社会が、知と技術を高度化するのではないと思います。自分だけ儲かればそれでよいとする観念が、経済を高度化するのでもないと思います。その程度の高度化や先進性は、やがて後発の経済大国や技術大国に抜かれてしまうでしょう。何よりも先ず、暮らしの地域的環境と条件を高めるその制約の厳しさが、知と技術をより高度に育むと思っています。

島嶼の社会は足許への配慮が、壇上も末端も、認識の段階から抜け落ちているのでは?

 ○さん! 我が社は違います。
 はい、その通りでしょう。だから涙国……

靖国通りの交差点で、カラスがドサッと落ちました。枯れ木から、枝をくわえたまま落ちますと、体重で枝も折れます。落ちた枝からもっと細い枝を、今度は嘴(くちばし)でポキッと折っていました。巣作りに使うのでしょう。信号が青に変わるまでの出来事。

クリスマスの季節-215-
1943年に開店した支店、以来~
石の防火用水桶と黒いゴミ箱
庶民の誰もが二ヶ国語の社会になれば……鉄塔のそびえる村
風土





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