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2005-03-10

誤字も訂正しないで欲しい

私がはじめて三信図書(1947年設立の小さな出版社)にお世話になったのは1986年の春です。当時の代表は青山鉞治でした。青山さんは「横浜事件」(1942~45年の言論弾圧事件)に雑誌「改造」の編集者として連座、治安維持法違反に問われ有罪判決を受けた人で、1986年7月に、氏を含む関係者9人が再審請求を申し立てましたが、許否の決まる前の1988年2月に逝去。朝日新聞の2月14日付朝刊の社会面死亡記事にそのことが載っています。その後、三信図書の代表は編集担当の荒牧三恵さんが引き継がれました。荒牧さんも1998年3月に引退。引退後も「随想 繊維問屋にて」は荒巻さんのお骨折りです。荒牧さんが東京を引き払われてからは、私も三信図書とはまったく往き来がありません。

初めて青山さんにお会いした際、荒牧さんから「青山さんは改造の編集者だったのですよ」と耳打ちされましたが、当時の私にはその意味が解からず、自分の原稿だけが気がかりでした。

私の原稿について、青山さんは一言も感想を漏らしませんでした。荒牧さんも無言に徹していました。しかし最初の出版の際、校正者と面談した帰り道は暗かったです。校正者との妥協の産物なんて、校了時は見るのも厭でした。以降、荒牧さんは私の前から校正者を除いてくれましたが、近年、引退後の荒牧さんとお会いした折、引き合わされたご友人(女性)の口から、私の本も校正したことがあるのですよと聞かされヤッパリ! 筆者だけの校正で出版された筈なのに、二冊目以降も、オヤという箇所があったのです。

一冊目から校正者がこのご友人でしたら、私は校正者に負ぶさってしまったかも知れません。最初の校正者も、名の通った出版社のご出身でした。

最初の校正者と私の間には、中世の水墨画と現代の漫画ほど距離がありました(私は後者)。その距離は校正者ご本人(男性)もわかっていた筈。しかし降りてしまいますと、現役を引いたとはいえお仕事を一つ失います。また馬の骨の私に譲歩すれば、業界で培ってきた実力が泣きます。一方、私も誤植は困りますが、文章は「誤字も訂正しないで欲しい」だったのです。

2003年4月15日、「横浜事件」第3次再審請求に対して、横浜地裁が再審の開始を決定したと報じられていました。

2005年3月10日、「横浜事件」の第3次再審請求に対して、高裁は、横浜地裁の再審開始決定を不服とする検察側の即時抗告を棄却、横浜地裁の再審開始決定を支持したと報じられています。

クリスマスの季節-25-
クリスマスの季節-27-
クリスマスの季節-71-
クリスマスの季節-230-
小さな出版社



ナイル河』が胸に焼きついています。青い水と白い人物。ただそれだけの画面が語りかけてくるものに圧倒されました。静謐と強靭、豊饒、冷徹、やさしさときびしさ、それらを溶かして滔々と流れる悠久の大河は、一人の女性の素晴らしい人生が、凝縮されたものに思えました。この一枚の画面が子への語りかけであれば、『橡の木の葉』は子から母への讃歌……(←荒牧さんの文章です。)

橡の木の葉展にご参加の学生さんもほとんど卒業されました。先日、そのお一人の卒業制作展に出かけましたところ、前の日に大学院から合格通知が届きましたと、喜びに溢れていました。

橡の木の葉展/第二回




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