干潟の沙蚕(ゴカイ)
省媒体! 釣りたての情報を江戸前で食べる提唱(略称:えどまえ)です。
21 Jan 2000 ようやく仕事が一段落して珈琲を楽しむ余裕が生まれました。暫くは徒然なるままに、漫然と投稿を続けます。今回は「ふり~」のお話。
言論にも報道にも「ふり~」の波が押し寄せています。従来型の文章媒体は、出版社はもとより新聞社も要らない----、いえ、予言ではなく、要らないという感想を抱くようになりました。文章媒体の技術や採算や効率の話ではなく、表現する側の意図や態度に「ふり~」を求めてしまうのです(随想を書き始めた昔からそうでした)。
記事を書いて、あるいは文章を表現して、何でお金を求めるのでしょう。一つはお金がかかるため。一つは生活しなければならないため。一つはお金持ちになりたいため。有名になりたい気持ちも大きいのかもしれません。しかしインターネットを利用すれば媒体にかかる費用は大幅に軽減されます。問題は研究や取材に要する時間と費用! この問題には「家事」や庭の手入れ同様、小説や随筆を書く時間と費用は含めません。
ものを書くことを職業と認める通念は歴史的なものです。技術が進めば通念も変わります。蓄名(?)は「ふり~」な営みでも可能です。無論、稼げるのなら好きなだけ稼ぐのが当然です。「ふり~」は義務でも強制でもなく「自由」です。
受け手の私はここ二十年、文章中心の「週刊誌や総合月刊誌、また文庫以外の単行本」を買った記憶がありません。活字離れとは次元が異なります。立ち読みや、図書館や、スタンドでの洗車待ちの時、好きなだけ活字を読んでいます。しかし文章を読むのにお金を払う気持ちは湧きません。気持ちの自由に束縛され、文庫本だけは譲歩していますが、また読みたくても手に入らない古書は例外として、近年は新聞でさえ、購読料を払うのはもったいないと思っています(新聞記事を読みたくないのではありま----す、かなあ?)。そのくせ、目の飛び出るような値段の美術史の年鑑は、図書館に出向けば足りるのに、衝動買いしています。
25 Jan 2000 禁断の木の実----いえ、江戸前の赤貝を食べてしまったのです、インターネットを利用できるようになってからは。例えば広報の文言、そう、「にゅ~すりり~す」と呼ぶアレのことです。
全国的な一般紙や経済専門の新聞を見ますと、企業活動に関する紹介記事がとても多いですね。ですがその内容と時間に、どの新聞に対しても不満を感じるようになりました。「にゅ~すりり~す」の原文の方がオモシロク、しかも即座に入手できるのです。無論、一般の消費者や購読者が「取捨選択の過程」を抜きにして直接「にゅ~すりり~す」を受信するなら、「にゅ~すりり~す」の山に埋もれて生活に支障が出るでしょう。しかし誰かが篩(ふるい)にかければ、関心のある企業活動の紹介記事は、新聞記事よりも「にゅ~すりり~す」の方が魅力的です。
記者の表現力、媒体の編集方針、限られた掲載面など、種々の制約やら干渉によって、江戸前のアナゴも味が変わり活魚の持ち味が薄れてしまう、だけであればそれほど不満はないのですが、多分「にゅ~すりり~す」の原文には、わかり易いように表現上の工夫や吟味が加えられているのでしょう。一方、新聞記事には、簡略化によるわかりにくさがつきまとっているように思われます。さらに、発表時と購読時の間には、編集・印刷・配達の時間が延々と横たわっていますから、江戸前の鮮魚には遠く及びますまい。また、新聞の場合「にゅ~すりり~す」と購読者の間には、人間も設備も発生しますので、とてもふり~とは行きますまい。広告収入で賄うのでなければ、それらの費用も購読者の負担になります。
にゅ~すりり~す直接----関心の篩---購読者
記者による取材を直接----関心の篩---購読者
当事者の立場から直接----関心の篩---購読者
広告収入依存であれ「ふり~」であれ、関心の篩が社会システムとして充実すれば、文章による情報の、すべてがそうなる必要は微塵もありませんが、おもしろいから、はやいから、わかりやすいから、採りたてのシャコは江戸前で茹で、釣りたてのハゼは江戸前で揚げた方がウマイかも。
31 Jan 2000 百貨店地下の食品売り場では、或いは食品スーパーの店内では、惣菜や特産品の試食ができます。江戸前の佃煮も買う前に味見すれば、お客様自身で好悪良否を判定できます。流行歌も先ず聴いてからディスクを買った方が無難でしょう。絵画は観てから、服は試着してから、書物は立ち読みしてから。
雑誌の一部はコンビニに便乗、立ち読みの機会が増えました。しかし新刊の単行本は書店の店内で、隣客の肩を気にしながら覗くのが精一杯、あとは図書館で順番を待つか、知人友人から借りるのが本の「試食」の現状です。出版洪水でありながら出版旱魃の今日、弱小の出版社の書物は、立ち読みはおろか、知る機会さえ閉ざされた状態です。無理ですよ(私の場合は)立ち読みを抜きにして、単行本を買いなさいと言われましても。
十年前の本が埃にまみれ部屋を占拠、処分に困っていませんか。本一冊は五百円も千円もするので捨てるのはもったいないです。ですが邪魔は邪魔ですから、陳腐化し易い中身の本は、読後、書店や出版社に引き取って欲しいです。まして大仰な宣伝に釣られて買ってしまい、中身に失望した新刊本は、試食抜きの購買が悔やまれます。
文章表現をウェッブ・サイトに掲載するのに、お金はいくらかかるのでしょう。要領さえ知ってしまえば、あるいは工夫次第で、インターネット上に文章を公開するのはタダ同然だと思います。ですから、もし蓄財が従で「表現」を主に置く著者は、読者に試食の機会を提供、その反響によって----営利を従に置く市場の評価によって----商業出版に踏み切るか否かを判断すればよいのです。インターネット上で高い評価を得られれば、単行本で出版するリスクも軽減----されるかどうかは、あるいは「ふり~」で読める文章にお金を払う読者の読みと「両立」の工夫は、表現する側ではなく事業者の課題です。
文章表現の私の態度は「ふり~」にあります。表現する気持ちの自由と、公開の機会均等にあります。商業出版社にも趣味の団体にも依存せず「ふり~」で表現できるのがインターネットの時代です。それは文章表現を、媒体の枷から解放することにはなりますまいか。代弁者の文筆に拠らず当事者が直接自己を著わし、媒体の権威に拠らず読者が直接試食する、状態が拡がるとよいですね。
01 Feb 2000 お正月に東京国立博物館に出かけ、伊藤若冲(171?-1800.家業は青物問屋)の「群魚図」で蛸や鯖の描いてある一点を見ました。それが、魚屋の売れ残りを、泳いでいる姿に並べたような魚だったので、思わず笑みがこぼれました。しかし、我々は「群魚図」を笑えますまい。
現代の瓦版はどれも似たようなものです鮮度に於いて。何人必要でしょう、江戸前で鯛や平目を釣り上げるのに。船頭と、漁師各一人に釣竿程度で、江戸湾の漁場から直接インターネットに発信すれば、お濠端や魚河岸に聳える櫓も要りますまい。
02 Feb 2000 私は、抽象化し普遍化させた私、つまり極度に具象的で、隅々まで特異な自我を、括弧をつけ「私」と表現することがあります。さて、先達ての「私」、実は江戸前のサヨリ(細魚)----、の割にはどれも肥えていましたが、「私」ことサヨリの自我は、自己を賞味してもらうのに、バケツ一杯の仲間とまる呑みされても嬉しい筈はなく、況して河岸に上がった山盛りの仲間を、生臭を嫌い、車内から遠目で観察、文と画像で描写、人伝を転用、群で抽象化し、属で普遍化させ、知識で構築、観念で反射、無味無臭、無謬理想に祭り上げられましても、サヨリはバケツの中で腐ってしまい、人生、いえ、魚生は味気ない、これがサヨリの私が、つまり Ghostが、自己を標本一個として、たった『一冊』の随想を書き続ける所以であり、同時に受け手も、鮨や刺身は自分の舌で味わって欲しい、標本一個を、また別の一個を、権威や代弁者に拠るのではなく、自分で味わい、思念と情操の中に留めて欲しい、受け手も送り手同様、自己の生涯と対照させながら咀嚼すれば、大所高所の言説を待つまでもなく、自己を抽象化し、普遍化させ、決定し選択できる----などと、家族と出かけた回転鮨屋で、サヨリが申しておりました。
09 Feb 2000 技術が進みますと、文集表現も紙の本に代わり(換わり)安く持ち運びが便利で、読み易い媒体が急速に普及するでしょう。当然、「関心の篩」の充実に反比例して従来型の文章媒体は、制作の段階でも流通の段階でも必要の頻度が低下します。今後の半世紀間も、取材して対象を表現できる電脳や、回顧して自己を表現できる電脳は先ず現われないでしょうから、まだ暫くは、文章表現はヒトに頼るしかありますまい。そのヒトが組織し編纂する例えば雑誌は、事業者が一個の表現体として生み出す作品ですから、今後も出版社への依存は続くでしょうが、執筆者が明示されているいわゆる単行本では、家庭での印刷も有力な媒体になり、これからの執筆者は自己の作品を、出版社や書店を経由して販売する必要から解放されます。お金儲けは、テレビ報道の民放化に倣えばよいのです。因みに編集者や監修者が手を加えた単行本は「協作」です。現在慣例となっている「著者:某」と書いた単行本は、事業者の構想や編集者や校正者が手を加えた過程や程度を、もしあるのなら、単行本の前段や末尾に記述、「原産地と成分」も詳らかに伝えて欲しい。
泡期までは自由化であれ空洞化であれ、お節介にも、施し一つ受けていない中小に自助を説き、大きなお世話にも、傷んでいる零細に痛みのわかち合いを説く論調が大手を振るいましたが、高処の表現者も泡の弾けた今は豹変、自助の放棄こそ繁栄の証と口角で泡を飛ばしていますから、確かに文章表現は繊細な魂にとって、抜き身の鋭さをそなえています。
曾祖父は刀の鞘塗師へ奉公しましたが、時代の流れで鞘塗りの仕事が減り、暇を出されたと祖父の自伝にあります。しかし当時は、鞘が消えても、生活の場に抜き身が跋扈する状況は生まれませんでした。一方、現代は、廃刀は二度と起きないでしょうから、進行する廃本毀鞘によって、やがて世の中の隅々まで抜き身が氾濫、品位も美学も抜きにした文章の横溢によって、誰彼かまわず傷つけ合う状況が生まれると思います。それはすでに廃本毀鞘以前の、偏差値が高度とされる人々が編集した紙誌で顕著に見られる現象ですから、蓄財から解放され、誰でも文章を公開できるこれからは、切磋琢磨を抜きにした無体が表現界を席捲するのは避けられますまい。抜き身を振りまわすなんて野暮ですよ。インターネットの時代では、文章を収める鞘は、表現者自らが創り出さなければならないのです。
10 Feb 2000 私は随想の読者を、書き始めから限られた層に定めていましたので、その訴え方が問題でした。細分化され特化され、しかも不特定の相手に宣伝する技術とは? 見込み客の名簿を入手してDMをかけ、要(かなめ)から要へと口コミを期待するのは無理でした。最初の一歩で、想定していた要が、よくて画餅だとわかったからです。例外もありました。画餅が崇めるような人で、とても近寄れないと思っていた数名が、意外にも励ましてくれたのです。
大量の文章に埋まっている人に、手紙や原稿を送って反応を期待するのは、ヒト一人の力を見誤っています。沈金蒔絵の鞘を添えても見向きもされず、一山いくらで処分されるのが常套であり、まして推敲百回程度の抜き身を送りつけ、何かを望むのであれば噴飯もの、と今は私も諦観の境地。
標的の中でも私にとっての核心は、口コミの網から漏れてしまう「声を発しないある種の心性、ある種の状況」です。その対象に達するのは干潟での沙蚕(ゴカイ)探し、足許を掘り起こし、類を探すのが精一杯でした。
マス媒体を使い、特定の雰囲気や単純な謳い文句を連投すれば、新製品の広告目的は達せられるでしょう(有力な手段になるでしょう)。しかし訴求対象を限られますと、効果を云々する以前に予算の点で、マス媒体の利用は難しくなります。それを個人がとなりますと、誇大妄想、荒唐無稽----ではなくなりました。
個人も会社もお粗末が目につきますインターネットのウェッブ・サイトは。会社の場合は、未だにマス媒体の横滑りが少なくありません。インターネットは従来型の新聞やテレビとは違います。従来型のマス媒体との根本的な違いは無料! だけですと根本が泣くでしょう。最大の違いは量です。質が量によって実現できたのです。個人にとっても驚天動地の革新ですが、これまでマス媒体で権勢を誇ってきた文筆家に、この点で不思議を感じることがあります。
総体の表現を、時間の制約も、量の制約も、金銭の制約も、地域の制約もなしに出稿できる媒体は、従来の技術では考えられませんでした。時間を刻み、部分を千回小出しにしても総体は掴めません。しかし先端事業者を除く多くの会社は、未だに従来型の表現をインターネットに横滑り----させていようといなかろうと私にはどうでもよく、権威ある文筆家の姿勢に関心があります。
限られた見込客に向け、一般受けしない表現を呈示、感性や理念の同異を尋ね、問題を提起するのに、今までは個人にも事業体にも、自助で、採算に合う方法はありませんでした。砂漠に散水する徒労を重ねなければ、自助で、限られた一部の層に総体の表現を伝えることは無理でした。宣伝効率としては最悪ですね。
インターネットを貧しくするか豊かにするかはヒト次第です。文章の表現者、特に権威ある論客が、これまでマス媒体や有力な出版社を介して流してきた言説は、得意になりたかった? お金が欲しかった? だけではありますまい。表現の中身に、主張の流布に、問題意識の醸成に、あるいは啓蒙に第一義があったのでしょう。ではなぜインターネットで自己の表現を、その総体を公開しようとしないのでしょう。自己の表現に自負があれば、それを公開する新しい技術を、貶めるような発言はできない筈です。当事者による総体の表現を、文章の総量開示を、実現させてくれたインターネットは、権威ある傍観者と干潟の沙蚕の違いも、明らかにさせてくれました。
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25 Feb 2000 浅草寺の放生会(ほうじょうえ)の折、僧侶が女学校数校の代表と和舟に乗り、隅田川に鯉や鰻を放す行事に、女学校四年の母も参加しました。当時、その女学校では全校生徒に、商品の自家製甘酒を振る舞ったり、汽船で東京湾内遊覧に招待するなど、父兄から様々な援助がありましたので、放生会の参加も、同業者や伝統芸能に援助を惜しまなかった祖父のお蔭と、母は今でも感謝しています。
放生会参加の年、母校では明文化されてはいませんでしたが、担任の先生が母に特待生になったと告げました。全校で成績一番のご褒美は、天長節に母校を代表して出席すること、教師と、校旗を掲げ持つ職員との三人だけで、代々木の練兵場に出かけ、最前列に立たされた真ん前の、馬一頭分隔てた要の位置に、近衛兵を扇形に従えた陛下の白馬! 帽子の優雅な羽根飾りが、今もありありと目に浮かぶそうです。しかし当時の母には、学校にも両親にも、式典の様子を話すなど思いも寄りませんでした。
昭和十年代前半は、安穏な時代でも自由な時代でもありません。その頃の着物の模様を、戦後の着物と「観照的」に比較、素材も、筆づかいも、模様選びも、柄合わせも色調も抜きにした物言いが、アートに積極的に関わっている社会人から発せられた時は、驚きも呆れも通り越して、悲しみさえ感じられました。
長男と長女を相次いで亡くした祖父母は、三番目の、尋常小学校三年の子がタクシーに撥ねられた時、音に驚いて店から飛び出し、我が子を認め、血相を変え駆けつけたそうです。母は下校のため、和泉橋近くの昭和通り交差点を横断中、速度を落とさず左折してきたタクシーに撥ねられましたが、うまく着地できたのでしょう、夢中で学校方面に駆け出したのを祖父が制止、事故を起こした運転手に命じ、御徒町の外科へ運びました。幸い、後に残る怪我はありませんでしたが、小卒時の万世橋警察署の表彰状は、この事故がきっかけでしょう。
感覚は変わりません。自我も時代には影響されません。観照が状況に動かされる所以です。作品を直覚するのは自由です。作者も説明も権威も排し、先ず作品に接するのが私の作法。しかし他者の作品を「評する」ときは話は別です。やがて軍や官と癒着した国策会社に取って代わられ、中小の商工業者が根こそぎにさせられる時代の、選択の幅や制作の条件は戦後とは違います。
営々と築き上げてきた事業を覆される状況は今も同じです。官は増税すればよいのでしょう。財は援助を引き出し、利率を操り、融資を引き上げればよいのでしょう。官も財も政も自らの失態を自己の報酬に反映させません。現場最頻値の水準に引き下げようとはしません。後世につけまわすか、現場から絞り取るか。
紙幣を食っては生きられません。条文を纏うこともできません。主とは、自ら耕し、自ら織り、自ら運ぶ現場のことです。政も官も融も現場の側衆にすぎないのですが、机上の操作で富を吸い上げ、天守楼閣を築き、主を睥睨する慣例がはびこり、相変わらず側衆相互で利権を世襲、盥をまわし、無知に媚びることで自己耽溺を遂げています。なぜ政も行も、側衆の仕事を民間に委ねないのでしょう。なぜ落札した専門集団に対する(民営組織に対する)信任投票には拠らないのでしょう。選良を(投票の対象を)個人に求めることは、選ぶ側も選ばれる側も「自我」の影響を過小評価しています。
商売を廃業させられ、やがて紙幣も紙屑と化した祖父の想いを、政や官の個人が共有できるとは思えません。今日でも、現場と側衆が、感覚を共有できるとは考えられません。個体一個に於いても、倒産や失業時と平穏無事の心境は壁で隔てられていますから、官や政に側衆個人がはびこる限り、高楼の浪費も延々と続くでしょう。
時代と私の美感は無縁ではありません。年齢とのかかわりも強いです。本人晩年の状況を除き、若年には立ち入れない領域があります。中年にも高年にも、お互い不可侵の鑑賞域があります。年齢、立場、状況の認識を欠いては批評も感想も共有できません。無知であれ、自己耽溺あれ、自我に翻弄させられてしまいます。「ふり~」には作法も必要なのです。
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