« 最後の晩餐 | トップページ | 干潟の沙蚕(ゴカイ) »

2005-03-04

居場所

幾何の授業で、居眠りしたことはよく覚えています。二年の幾何は教頭先生の受け持ちで、生徒は緊張するのが礼儀でしたが、日当り抜群の午後、心地よい眠気に誘われ、授業の開始から天上界で夢見る人の、耳元幽かに「クワイノハ」「クワイノハ」

お節料理に入っているクワイの、葉の形をご存知ですね。

今でも近所の水田で、長三角の葉に切り込みの入った、観葉植物そっくりのクワイを見ますが、葉っぱの内角と外角がどうのこうのと聞かされましても、私の耳には「クワイノハ」「クワイノハ」

教頭先生は見かねたのでしょう、授業の最後に指されてしまいました。とっさに口から出たのは「クワイノハ」 クラスがドット湧き、叱られた記憶もなく、高校で学んだ幾何はこれが総て。

三年の代数の先生はクラスの担任。「重役通学」も含め、私はいろいろお世話になりましたが、数学の先生というより、仲見世で子どものお客にオモチャを渡すご主人の印象が強かったです。高校で学んだ代数はこれが総て。

高卒時、卒業式の予行に出席しないで、帰ってしまったことがあります。店の手伝いと結石を抱え、受験勉強に溶け込めず、英語など暗記の成績が中学程度では、男女各一の、クラスの代表に選ばれたことが恥ずかしく、担任に「自分には資格がない」と告げ、帰ってしまったのです。すぐに先生から母に電話が入り、事情が判らず謝るのに困った話を、父の死後に知らされました。今も母は仲見世を通りますと「先生、本当に怒っていたよ」 ←叱られて午後の予行に加わりました。

中学時代は荒れた生徒がいました。近親者が通っていた同区の私立中学もそうでしたので、学校個々の特殊事情ではなく、時代に共通する社会問題だったかも知れません。その私立の対策は、荒れた生徒の中に「上辺は朱に染まっても芯は崩れず、皆に受けのよい生徒」を配するとは、保護者が心配のあまり学校に談判に行った時に、先生から聞かされた言葉だそうです。

荒れたグループから呼び出しを受け、殴られる生徒がいたのは事実です。私の公立中学は、「列車」で越境してくるほどの受験校でしたので、進学から見放された生徒は「不条理」の持って行き場がなく、荒れたのはそれなりに解るとしまして、大学まで続いている私立中学の荒れ方が、公立中学のそれと同じだったかどうか? 後者は、恵まれた家庭で甘やかされた子弟が、時代の風潮に悪乗りしたのかも知れません。

私の中学は毎年クラスが変わりましたが、私の担任は三年間、同じ先生でした。当時の話は折に触れ、筋を曲げて書いています。番長とは三年間、同じクラスが本当の話。副長格は確か一年次のみ。

先生はとても小柄で、片方の視力を失っていました。職員室で、先生方が成り行きを凝視するなか、台に乗って体を伸ばし、とても大きく、頑丈な体躯の番長を拳で殴った場面を憶えています。普段は囲碁がお好きで、職員室の机と机の間に盤を置いて、仲間の先生と指しておられました。私が卒業後、奥様と、小学生だったのでしょう二人のお子を残して亡くなられました。線香をあげにお宅にお邪魔した折、番長と鉢合わせしました。勤め先のロビーでも一度、取引先の営業員として商談に来ていた彼を見かけ、中学卒業後の歩みを教えてもらいました。

私の中学入学時の成績は、十三学級全体でも一桁の上のほうで(その後は下降一筋)、クラスのナニ長に命じようと私を見たとき、頼りなさのあまり断念したとは、先生から直接聞いた母の思い出。

他のクラスの担任で、工作室では旋盤を、屋上では原付自転車を指導した古兵もどきの先生は、戦時中の新兵訓練を授業に持ち込んでいました。担当のクラスの男子全員に、丸刈りを義務付けた先生は江田島(海軍兵学校)の出身で、兵学校各所の鏡で、身だしなみを整えた話を聞かされました。

私が見た飛び出しナイフは二通りでした。手の平に収まる大きさで、鞘に平行に飛び出す種類は、使い勝手がよく工具の代わりになりました。今一つは、二つに折って鞘に収める種類で、刃渡りが長く、人を傷つける以外の用途は思いつきませんでした。二つ折りの飛び出しナイフは、一年次の教室でも、床や机を疵つけていました。

古兵もどきの先生は、工具を落としたり旋盤を汚しますと罵声を浴びせ、ことあるごとに番長と副長格を殴っていました。人間性に逸脱を感じたのは、生徒にではなく教師に対してです。殴られる生徒の側もチェーンを隠し、近所の中学と喧嘩したとかで、包帯の上から詰め襟を羽織って登校しました。

荒れる生徒によい感情はもてません。言い繕いが通じる相手ではなく、何が連中の気に障るのか、当初はそれが気になりましたが、次第に億劫になり、無関心の中で共存しました。教室はどちらの側のモノでもないです。まして公立の中学、教室は荒れた生徒にとっても、居場所であると思っています。

副長格の印象は違っていました。先生は「Aは立ち直るがBは怖い」と漏らしていました。薄笑いを浮かべ、机に腰掛け、構成員の行為と仕事を、大人の一員として果たすような凄さがあり、それだけに学校に対する期待もなかったのでしょう、尾を踏まない限り、安全だったと思います。

編集中記 【No.30、104~107、109】
折々の写真 神田川4
クリスマスの季節-26-
クリスマスの季節-209-
随想 青い闇 -1-


駿河台下から御茶ノ水駅方面。近くに小学校。
中学時代も幾度となく。


お茶の水橋(御茶ノ水駅の新宿寄り)。
御茶ノ水駅は小六時代の学校側最寄り駅。


靖国通り 神保町交差点方面。

クリスマスの季節-111-

|

« 最後の晩餐 | トップページ | 干潟の沙蚕(ゴカイ) »