最後の晩餐
大学一年の夏、外房の海の家で、一週間アルバイトしたことがあります。高二時代の級友に誘われました。二人一組が条件で、是非にと頼まれたのです。あの時期は問屋の方で、特に私を必要としていました。また海の家で働けば、溺れた人を発見しましても、泳ぎのヘタな私は、助ける前に溺れてしまいます。返事しないうちに話しが進み、断わりきれなくなりました。
海の家は、中年夫婦が住み込んでの営業を、学生二人が手伝う手筈。寝泊まりは海の家。拘束は24時間。休憩時間も食事時間も定めなく、暇をみてはラーメンか具のないカレー。朝飯は前日に炊いた御飯に、味噌汁とタクワン数切れ。健康によくありませんが、その程度ではへこたれません。どうにも参ったのはトイレと寝床。
悪臭のひどい汲み取り式の便所でした。海水浴客が腰掛ける板の間で眠りました。板敷きはなんともなかったですが、布団と枕が湿気を吸って、とても眠る気持ちになれません。ベトついた茣蓙を除き、持参したバスタオルを敷いて、直接、板の上で眠りました。目先の労苦には辛抱強いと思っていますが、あの時は厭の二乗、前任者は逃げ出したのかも?
売店と食堂は主人夫婦。呼び込み、利用料金の受領、脱衣籠の預かり、食器やお盆の片づけ、パラソルや浮き輪の貸し出し、脱衣籠の整理、茣蓙と座布団の天日干し、掃き掃除、拭き掃除、茣蓙の敷き直し等々は文化祭気分。砂浜固有の作業も少々。
海水浴客が引き払ったあと、ごみを拾いました。スコップで深い穴を掘り、燃やすものは燃やし、埋めるものは埋めました。ごみ拾いは朝にも一度。花火の後始末です。
見たところ砂浜は綺麗になります。が、毎日毎日、毎年毎年、埋められるゴミや燃え滓はどうなるのだろう。海水浴客の垂れ流しを、燃やしたり埋めたりして上辺だけ繕っていたのが、私の働いた海岸でした(1960年代中頃)。
毎朝、走り抜ける運動公園の駐車場も、夏場になりますと(1997年8月現在)花火の残骸が散らかり放題。畑や林でも、コンビニの器や袋が、車から投げ捨てられてしまいます。
アルバイトの残りの二日は、台風の接近で家の補強に追われました。砂浜に建てた仮設の小屋ですから、雨の日は棚の奥まで濡れてしまい、風の日は屋根を飛ばされる恐れがあります。秋風を感じる日々、海水浴シーズン最後の台風、小屋は畳むつもりで、外すものは外し、梱包するものは括り、売上はともかく、小屋の被害は免れましたが、波打ち際が小屋の中まで達し、夜分、床の下で、波が渦を巻いていました。
海水浴客の引き払った砂浜にテーブルと椅子をしつらえ、「ご苦労さま、さあ、乾杯!」
その一杯のビール代など、私はバイト代から引かれてもよかったです。カレーライスの器を改め、磨いたゴブレットに水を注ぎ、テーブルクロスを敷いて、潮騒を背にあでやかな夕餉の宴。今日一日の労働は終わりました。このひとときを「最後の晩餐」になぞらえ、心行くまで楽しみましょう。
いかほどの費用が要るのです「最後の晩餐」を満喫するのに? 海の家のご夫婦に、あるいはご夫婦に日々、宴を楽しむ余裕があれば、砂浜は、あるいは涙国は、もっと美しくなると思います。
……編集中記 【No.121~124】を編集しました。
千葉県富津市 (内房)


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