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2005-03-04

石の防火用水桶と黒いゴミ箱

ガラスで囲われた角型のハウスや、樹脂で覆われた蒲鉾型のハウスなど、毎朝出合う温室がいくつかあります。夏はベゴニア。冬はシクラメン。今は黄花のキュウリとドテドテぶら下がった緑のトマト。四季を通じて切り花用のキク。

埼玉県南の住宅密集地にも農家のハウスが残っています。ハウスだけでなく、昭和二、三十年代に見たような、古びた屋根瓦に銹(さび)たトタン張りの、平屋で、戸建ての貸家様式や社宅様式に出合った時も、立ち止まって見てしまいます。

住宅密集地で見出した平屋の社宅様式と平屋の長屋様式は、整列四棟と変則六棟でした。どの棟も南向きの塀なしでしたから、板戸やガラス戸の縁側は、幼児も悪ガキも出入り自由。因みに悪ガキとは私の場合、普通の子を指しています。

ヒト一人一人の気持ちは違うと思いますが、住宅と住宅の「隙間」は無視されてしまったのでしょう、涙国の今の家並みには、排除の力学が働いています。

同じ密集地では、残りの田畑がさらに削られ、六棟も七棟も洒落たアパートが建ちました。そのアパート群で、目についた工夫が一つ。我が家用ではなくある事情から、中古中層大規模な住宅街で部屋を手当て、そのゴミの出し方が、新築アパートのほうが見目も機能も優れていました。

我々の世代はご記憶でしょう辻々のゴミ箱を。タールの(←間違っていたらご免なさい)臭いと一緒に、塗り直している情景が浮かんできます。

野良猫の正餐、烏の饗宴、楼閣は聳え、賢者は黙し、見苦しさにも慣れてしまった涙国は哀しいかな。

機上の自適にお邪魔ですか。ゴミ箱を置く辻々は出入り自由の隙間と一緒に、遠い昔に消えたままです。

 ※

今朝(十二日)も同じ夢を見ました。痩身(そうしん)白髪の背広姿が、濡れた鞄と濡れた雨傘を網棚に上げたのです。一駅一駅車内の密度は高まりましたが、経済新聞の面積は変わりませんでした。表情を盗み見ますと、やはり鏡人間のお代官さま。

距離を置きないなあ~と望んでも、身の置き所のない車内です。せめて顔の向きはと、首を六十度、さらに六十度と回転させますと、誰も彼もがお代官さま化した鏡人間! ワッ!と叫んだ瞬間、目が覚めました。

結婚の決まった母が、祖母(母の母)と一緒に、初めて父の実家(父は分家の実質末子)を訪れた際、間違って本家を訪れ歓待されたそうです。

長屋門を潜(くぐ)りますと、玄関前数メートルに細長い石が置かれ、小作人は跪(ひざまず)いて言上(ごんじょう)、玄関へは上がれなかった時代もあったとか。床の間には大きな掛け軸。絵は裃(かみしも)姿など十五代全員の肖像。父の本家は代官の家系でした。

市川市菅野時代(昭和20年代)の私道は三軒の共有でした。一軒はご隠居一家、もう一軒は表通りに(大人が見れば広めの路地に)面した門を使っていましたので、私道は我が家の遊び場同然でした。石造りの防火用水桶。黒いゴミ箱。東西のお隣りには竹垣か板塀。

竹垣は上り下りして遊びました。お隣りに入ったボールは、板塀の下半分を潜って取りました。ですが板塀も竹垣も、既にお代官さま化の一途だったのですね~。

やはり昔の仕事で、世田谷や神戸の邸宅街を訪れたことがあります。豪邸や秀庭にうっとり。何よりも環境が……、ではなかったです。ここでも乾いた悲哀。

土地は、自然は、環境は誰のモノ? 勿論、私有地も私生活も他者は侵入禁止。しかし「父と子」は、長屋門を潜(くぐ)り、邸宅の玄関前で、お代官さまに跪く小作人なのでしょうか。秀庭だけではないですよ。凡庭も、猫額庭(びょうがくてい)も塀や垣根で囲われてしまい、一瞬の休みなく排他性を撒布、大人は鏡に見惚れ、幼児と悪ガキは事故覚悟で舗装をウロウロ。

一軒だけではどうしようもないです。社会を満たしている「関係の海」がそうなのですから、首を何回転させましても、誰も彼もがお代官さま化した鏡人間。

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二重構造論が盛んだった昔も、雇用機会は圧倒的に中小企業が支えていたと思いますよ。その中小企業の頼りは大小の銀行でした。つまり

不動産と「個人」を担保に、借りたお金は永遠に借り続け、銀行は永遠に金利を受け取り、中小企業は雇用の機会を維持する仕組み。

完済できる優良企業ばかりですと、島嶼の経済は銀河系世界でナンバーワンになりますが、ヒト社会では、リチムシよりオレガムシが強いのは今様政所で立証済み、大も小も、我が手の支配権を自己の盛りに、より優れた他人に譲る自我は例外ですから、成長すれば資金に詰まり、低迷すれば返済に困り、中小の会社も、大小の銀行と固い絆(きずな)で結ばれていたのです。戦後の繁栄は生産も消費も、この絆が下支えしたのでは?

流通革命の主役、当時の新たな取引形態も、会社個々の体質は違っていました。同様に銀行の体質も、会社個々で違っていました。ですが世の中への影響力は、リチムシよりオレガムシが勝(まさ)ってしまった点で、「泡」の過去は戦争同様、五百年先千年先まで語り継ぐそれが歴史。

堅く有力な都市銀行の顧客係が「一歩踏み出さない者は馬鹿を見る」と呟(つぶや)いた声の調子は、呆(あき)れを通り越して嘆きでした。

ヘリコプターに投資して下さい、お金は貸します。仙台のマンションを買って下さい、お金は貸します」 ←過去に取引が一度もなかった大手銀行の行員の言葉。マンションは一部屋ではなく一棟でした。本社には有資格者が○人おります、お手伝いします、節税対策はご心配なく。

返済の根拠が「泡」の膨張だったのですね。構造の絆は絶ち切られ、今(2003年6月現在)も気の遠くなるお金が危機の回避に……

情けなくって哀しくって、書く気力がなくなりました。

誰にとっても不動産は「父と子」そのもの。地表の今の土地は一坪残らず、暮らしのためにあるのですよ。工場用地も商業ビルも、オレガムシの玩具(おもちゃ)ではありません。そんなの、当たり前じゃないですか。

クリスマスの季節-84-


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