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2005-02-09

昭和初期の見本市

商売は順調だったが、綿布相場の漸落による商品価格の低下のため、商いは減少した。年商は昭和4年51万円、昭和8年34万円。数量は左程減った訳ではないので、加工設備に変化はなかった。不況を乗り切るため、扱い品目の拡大や輸出方面への販路開拓を試みたが、この頃から私の聴力が衰え、輸出は断念せざるを得なくなった。

不況の打開策の一つに見本市があった。東京、大阪、名古屋の各地で、様々な卸業者が結束して毎年春秋二回開催。種々の顧客優待法を講じたので人気を博した。

東京では商工奨励館主催と実業商報社主催が同期に二箇所で開催。私は後者に加入、会場は上野公園の自治会館で、参加は玩具、文房具、帽子、袋物、洋品雑貨の各卸業者百余店。私の同業者も四、五店が参加した。

見本市が盛んになるにつれ、問屋街でも二箇所の見本市に時を合せ、店頭で見本市を開催。私の店でも倣ったが、上野の会場に人手を割き、店頭は人手が足りず、客が蝟集しても難聴でどうにもならず、私は悲しみと苛立たちを募らせた。

見本市は期中から出荷を催促されたが、四、五百の荷物を梱るには十日も要し、店頭は荷物の山、通行人は足の踏み場もない始末に、道路妨害として幾度も警察から呼び出され大叱言を食った。

自伝抄録・祖父の肖像より

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