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2005-02-26

着物の柄に金泥を使えば憲兵に

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昭和も十五年になりますと、祖父は業界の頭目としてたびたび警察に呼ばれ、税務署からは縁の下まで調べられ、もし着物の柄に金泥を使えば、憲兵に引っ張られてしまったであろうと聞かされています。やがて商売まで廃業させられてしまう十年代の状況が、美感に無縁とは思えません。

美を追い求める今になって、内外の、政経の歴史を疎かにしていたことが悔やまれます。コピーの量産品は別ですが、丹精こめた工芸品では、同じ古典模様であっても、時代の個性が滲み出るのではありますまいか(工芸の表現者は、時代を越えた普遍性に埋没するのを恐れるのではありますまいか)。 上の着物の主は、現代の着物に御所解を見出しても、黙していることが少なくありません。関心がない? いいえ、探しものが見つからないのだと思います。仮に、鎖国の時代と侵略の時代の双方に同一の技術、同一の主題、同一の雰囲気の、完成度の高い着物があった場合、どちらの着物にも、各々時代の個性はないとお考えですか?

着物の主が今日、御所解をとりあげる場合、古典的主題に最先端の斬新性を求めているのだと思います。昭和十年代の商人はその資質や生い立ちの上に、状況に捕縛された「観照眼」によって美を想い、一着あたり、当時の西陣織の丸帯の、最高値を上まわる財貨を投じて描かせた着物に、時代の斬新性を求めていたのだと想います。同じ古代模様でも、それぞれの時代に固有する持ち味がなければ……。最高に値する工芸はどれも、状況の束縛から、逃れることはできないのではありますまいか。

祖父は関東大震災と東京大空襲で店を焼かれ、後者では基盤まで覆されてしまいました。母は二二六事件を記憶しています。銃弾が飛んでくると噂され、昭和通りは無人、警官の姿もなく、雪の中に、ひき逃げされた死体が横たわっていたそうです。戦争は学校生活まで浸透しましたが、世相は意気軒昂であり、母の場合、暗い生活がはじまったのは太平洋戦争からです。しかし父は、すでに輜重兵として従軍、輜重隊は狙撃や砲撃の標的になりますから、日中戦争で死の恐怖を体験、深夜の行軍中に事故で歯を失い、生涯、具合の悪い入れ歯生活、上官に殴られた顎の傷も死ぬまで消えませんでした。歴史の年表によりますと(月次の順不同)

昭02:金融恐慌はじまる  昭03:治安維持法改正  昭04:世界恐慌はじまる(昭05に日本へ波及・昭和恐慌)  昭06:満州事変、不況激化  昭07:満州国建国宣言、五一五事件  昭08:国際連盟脱退、綿布輸出量世界一位  昭09:東北冷害などで大凶作  昭10:綿布輸出量史上最高、17年ぶり貿易黒字  昭11:二二六事件、人絹糸生産高世界一位  昭12:日中戦争はじまる、南京占領、物価騰貴、独空軍ゲルニカ爆撃  昭13:国家総動員法公布、電力国家管理  昭14:国民徴用令公布施行、価格地代給与等釘づけ、国策会社盛んに設立、第二次世界大戦はじまる  昭15:日独伊三国同盟調印、町内会・隣保班等訓令、大政翼賛会発会  昭16:現役陸相が組閣、12月8日太平洋戦争はじまる。

 防空訓練 鉄塔の聳える村

当時は昭13:大日本陸軍従軍画家協会結成  昭14:陸軍美術協会結成、第一回聖戦美術展  昭15:陸軍省盛んに画家を大陸戦線へ派遣  昭16:第二回聖戦美術展、美術雑誌第一次統合など、我が国の芸術家が否応なく戦争に駆り出されて行ったのですから、衆人環視の着物の模様を、想う通りに表現するのも容易ではなかったと思います。

着物の主は戦後半世紀間、服飾デザインに従事、着物の模様も最先端から批判的に眺めてきました。マティス、ミロ、ニキなどの作品を愛し、それらの特別展では巨匠の作品を模したアクセサリーやスカーフを買い求め、後者は惜し気もなく裁断、ブラウスに仕立て直し作品の個性を楽しんでおります。

……着物の模様より


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