泣いていたのです、看護婦さんが

容体悪化の連絡が携帯電話に入ったのは午前八時の少し前でした。訪問看護の折、もう一段「変わる」と聞かされていたその変化がいよいよ始まったのです。あと一ヶ月でしょうか。長くはありますまい。不安な気持ちでパソコンの電源を落とし、通勤客の流れに逆らって地下鉄の階段を駆け下りました。
ベッドの脇で主治医の助手から聞かされた「三日か五日」の、その日数が何を意味するかは問いもせず、まだ三日は大丈夫、五日経ったらその時はその時のこと、新たな症状に応じて看病すればよいのだと覚悟しますと楽になり、医師の呼びかけに右目の瞼をわずかに開く、その瞳孔は光を向けても反応しなかったのですが、父は疲れています、少し休めば回復します、異変があれば呼びますからと、ひとまず医師と看護婦に引き取ってもらい、母の到着を待ちました。
母が声をかけますと瞼を開いて声にならない声を発する、しかし聞きわけることができません。母が「かゆいの?」と呼びかけますとかすかに動いて意思が通う、喜んだ母が再び「かゆいの?」と呼びかけますと、今度はしっかりうなづいて父は母を認めました。
まだ四、五日はあるのです。しかし今の様子では、母は病室を離れるわけには行きません。今晩は泊まりましょう、入院相談の窓口に出むき、ホテルの予約を頼んで来ますと母に告げ、枕元を離れようとしますと、毛布がかすかに持ち上がり、私が病室を出るときのいつもの挨拶、手を振っての別れの仕種に、父は私も認めていたと、思わず父の手を握りしめました。
父は危機を脱しました。疲れていただけです。明日はまた蒲焼きなら小匙一口、刺し身なら中トロ一切れを口にします。午後は私がつき添うことにして、母は宿泊準備のため、待たせてあった車で帰りました。
二
午後は手持ち無沙汰です。枕元の椅子に腰掛け、テレビのスイッチを入れますと、お昼のワイドショーに辟易して電源を切る。
父の右肺は腫瘍で塞がれ、気管と血管も、勢いを盛り返した腫瘍に圧迫され、左肺の下葉にも水がたまりました。腹筋は失われ、胸郭も隔膜も動かないほど衰えてしまい、口だけの呼吸ですから、炭酸ガスを吐き出せず意識が混濁、舌も気道を塞ぎがち。そこで看護婦さんが、父を心持ち横に寝かせ、窒息の危惧を除いてくれましたので、半開きの口の舌の様子も気にならず、私は椅子で寝こんでしまいました。
医師が呼びかけましたが反応がありません。汗がひどい! 寝間着もびっしょり。額にも髪の生え際にも、汗の水滴が、拭っても拭い切れないほど吹いてきます。再び心配になり、医師に容体を尋ねますと
酸素を増やせば自力での呼吸をやめ、酸素を減らせば酸素不足で呼吸がとまる、心臓まで管を挿しこんでの点滴も、このまま続けると浮腫が頭まで達してしまい、量を減らせば衰弱が増すという難しい匙加減。
父の新たな平衡は始まったばかりです。肺ガンがわかったのは昨年の二月、右肺上葉の、気管に達した腫瘍の摘出は無理でした。目に見えて拡大する影に怯え、一刻も早く治療をと願ったその照射が威力を発揮、副作用の徴候さえ知らずに回復した父ですから、今回の病変も必ず乗り切れると、穏やかな気持ちでつき添っていました。
三
父の手足は数日前までぬくもりがあって、冷たい手の看護婦さんに触られるのを嫌がっていましたが、今日はぬくもりがありません。点滴の、栄養剤や薬液が漏れてしまうほどむくみが進み、十分な血液が流れていません。一昨日、採血しようとして、看護婦さん三人が試みても、血液は流れて来なかったのですから、父の手足が冷たいのは無理ないと一人で合点、その折、三人は針を刺した腕をさすって、父に詫びていましたが、ここの看護婦さんは礼儀正しく、実によく訓練されていると思います。在宅介護の関係者も、この病院の名前を聞くと、看護婦さんのよさを口を揃えて誉めていました。
呼吸は規則正しく、手足の冷たさは気になりません。気をもんだのは母が戻る時刻です。ホテルにチェックインを六時と告げた、その時刻が迫っています。電話しますと、まだ家を出られないと言う、その理由はあとでわかったのですが、ホテルには前金を納めなければなりません。長三角形の病棟は、どの病室も、中央に位置する看護士詰め所に面しています。その詰め所に声をかけておけばよかったので「三十分ほど外出します、父をよろしく」と頼み、隣りのビルに出かけました。
ホテルから戻ったのは六時すぎでした。再び詰め所に声をかけ、病室に入りますと、父の姿勢が仰向けに変わっています。呼吸に乱れを感じ、枕元のボタンで看護婦さんを呼びました。
いつもは患者に声をかける看護婦さんですが、駆けつけた二人は父を一瞥後、すぐに病室を出ましたので、無駄足をさせたと申し訳なく思った矢先、今の二人が器械を持ちこみ、ケーブルを父に接続、若い医師が心電図と脈拍を注視しながら力をこめて呼吸を介助、同時に「ご家族を呼んで下さい」。その折も私の気持ちは穏やかそのもので、脈拍がなくなり心電図の凹凸が消えても、人工呼吸の衝撃で脈拍が蘇る、その表示盤を感心しながら眺めていました。
婦長さんも訪問看護士も駆けつけてくれました。病室は父と看護婦四人と、医師と私の七人になりました。さらに前回の退院時、在宅介護の要点を書いてくれた看護婦さんが、婦長さんの「今は担当外ですが、つき添わせて下さい」という口添えでベッドの脇に立ち、しきりに父の手をさすりながら、私にも「お父さんの手をさすってあげて下さい」。
母が着くまで手を冷やしてはならなかったのです。さすりはじめましたが、その間も手が冷たいとは思いませんでした。心を衝かれたのは涙です。
泣いていたのです、看護婦さんが。
……随想 橡の木の葉より
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