天国と地獄
珊瑚樹を後にして少し歩くとお墓がありました。奥行があり、遠くにはお寺の甍(いらか)も見えていました。墓石の密集している乾いた墓地、なのに見てしまったのです、人魂を!
お墓の奥で首吊りがありました。首吊りは小学校の図工室でもありました。図工室の首吊りは、同じ人かも知れません。違う人かも知れません。このお墓に埋められました。やがて地面がへこみ、そのとき見たのです。闇の中で鬼火が揺れ、すすり泣きを聞きました。



ユリ(つくば牡丹園)
絵を描いている記憶があります。小学校(千葉県市川市)西側の正門は、私の通学路とは縁がなく明かずの世界。出入りしたのはわずかに数回。残りの「通学日数×五年間」は南と東の朽ちた木戸から。
校舎は木造平屋。三年の頃、東側に二階建てが加わりました。木造校舎は西側で南に折れ、無人の昼休み、上がりこんだのが講堂兼体育館。
昼休みの体育館は影の部分。東の窓に渇いた校庭。図工室は講堂の南隣り。
陽が射し、風が抜け、爽やかで穏やかで、眠り込むのが常でした。絵を描いた記憶は夢の教室。
クレパスから剥がす紙の音が、今も聞こえています。粒になってしまい、親指の腹で擦(こす)りつけました。画用紙の汚れなんて気にしません。花瓶は群青、お花はガーベラ。
美しく描こう、なんて気持ちはなかったですよ。クレパスが香り、見たこともない図が現われるのですから、嬉しかったですね~。ほかに何が要(い)るのでしょう?
※
天国と地獄のお話です。実は小学校には、現(うつ)し世の講堂を挟んで黄泉(よみ)の国がありました。
体育館の北側は演台の聳(そび)える舞台、その東隣り、校舎の西の外れが音楽室でした。
発声を矯正するとされ、授業中は皆の前に立たされ、昼休みは呼び出しを食らい、晒し者にされたお話は書きましたが、本当は音楽、好きだったのですよ。
音痴なのに、転校した小六(東京都千代田区/市川市から越境)では音楽は五点評価の5! 驚きのあまり、小六の音楽の先生(壮年男性)の顔、今でも覚えています。検察官か能吏の印象。授業は算数か哲学の雰囲気。試験は筆記や五線譜でしたから、発声は要りませんでした。
中学(千代田区/神田から)の音楽の先生(若々しい中年男性)は、表情も再現できるほど記憶、いえ、こちらは皆の前で歌う試験がありましたが、乱調や声の出ない音域は一緒に歌ってくれたのです。最大の感謝は古典音楽を聴く授業。
小五年までの音楽室は、近づくと冷や汗が流れ、授業中は恐怖の連続で、嗚呼、これが地獄の苦しみなんだな~と、つくづく思っていました。
一度だけ蜘蛛の糸が下りてきました。学校から都内へお芝居を観に行った、その主題曲に魅せられてしまったのです。歌いはしませんよ。記憶した画像や音声の方が大切なんです。結果、ますます無口に、いえ、無音になってしまい、忍従の学習に専念しました。
絵はどうなんでしょう。
講堂を挟んだ黄泉の一つは校庭でした。早朝も昼休みも放課後も、霜柱の立った泥濘でも、土埃(つちぼこり)の舞う炎天下でも、一人でも多数でも、下級生も上級生も、サッカーや、バスケットや、野球を楽しめる環境と状況が極楽でした。絵は、煉獄だったんじゃないのかなあ~。


アジサイ(能護寺 のうごじ 埼玉県大里郡妻沼町)
編集中記【その44】
クリスマスの季節-25-
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