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2005-02-23

婚儀披露宴御席表

父の遺品を整理していた母が、23日付「婚儀披露宴御席表」を二通見つけ、一通を私にくれました。場所は浅草のK亭とあります。折り目は裂けてしまい、紙面も褪色していますが、席次のお名前は今も鮮明。父の命日(1999年7月)と両親の結婚式(5月)は同じ日。因みに母の父が生まれた日は明治節(明治天皇誕生日)と同じ日です。

媒酌人が新郎側二人と新婦側二人の四人になっています。その両脇にさらに新郎知己と新婦恩師、つまり新郎新婦の席には八人が並んだ訳です。そのお一人、新婦恩師のお名が苗字だけの武藤様は少し妙。母に素性を聞きますと、武藤様とは四世の杵屋佐吉さんでした。

お見合い時の父は和紙の統制会社に勤めていました。事務所は人形町の浪花局ビル隣りの三階建て。本社は静岡県。父の職種は珠算と演算の教授。紙の供給が途切れて会社は閉鎖。次いで静岡県の鉄鋼会社の東京営業所に勤務。銀座の松坂屋裏手の事務所。所員は1名、つまり父だけでした。室町の、銀行本店二階の海軍省(出先機関)が営業先。東京大空襲でその事務所も焼失。

前回に父の履歴書を撮り込んだ際は、なぜ履歴書が書かれたのか判りませんでしたが今は明らかです。和紙の統制会社から鉄鋼会社に転職するための下書きでした。昭和18年付。月日は未記入。

履歴書

本籍地 静岡懸富士郡富士町上横割○○番地
現住所 千葉懸市川市大字真間○○番地
戸主  本人

学歴

大正12年04月 富士郡富士町富士尋常高等小学校入学
昭和04年03月 同校尋常科卒業
昭和04年04月 静岡懸立富士中学校入学
昭和09年03月 同校卒業
昭和09年04月 三重懸三重郡四郷村私立共興学校入学
昭和10年07月 同校珠算師範科卒業

職歴

昭和11年03月23日 富士瓦斯紡績株式会社
昭和11年03月23日 富士工場調査科入社
昭和16年11月26日 同工傭員一等ヲ命セラル
昭和17年01月06日 同会社退社
昭和17年01月09日 日本和紙統制株式会社入社
昭和17年01月09日附社員経理課ヲ命セラル 及現在

兵役

第一補充兵役陸軍上等兵
昭和14年05月08日 教育召集ノ為中部第十三部隊ニ入隊
昭和同年06月07日 臨時召集ニ命セラル
昭和14年11月20日 陸軍一等兵
昭和15年09月15日 陸軍上等兵各々命セラル
昭和16年05月16日 召集解除

賞罰

賞 支那事変ニ於ケル功ニ依リ勲八等白色桐葉章ヲ授ケラル

右之通リ相違無之候也


百日算の番付表(父は北寮順位甲第壱號)は旧姓です。履歴書は大森から真間に越してから書かれたもの。召集は昭和14年から16年まで。昭和11年に入社、17年に退社した富士瓦斯紡績株式会社に在籍中の出来事。

お見合い後の父は通勤を都電に切り替え、車窓から店の奥を覗いたり、有り金をはたいて洋服を買ったりしています。銀ブラの写真の白い上下がそれです。結婚後の父は、母の妹に室町の造船会社を紹介するなど、勤めの傍ら、商いを禁じられていた祖父の家族も世話しています。昭和19年12月、出産二ヶ月前の母は父の郷里に疎開、翌一月には祖父の一家も市川に疎開、三月の二度目の空襲で、銀座七丁目の父の勤め先事務所が焼け、父は郷里の鉄鋼所本社に転勤、終戦直後は仕事がなく、疎開先を引き払い、病床の祖父に代わって作業衣の製造卸を開始、母と一緒に見様見真似で型紙を……等ですが、この間にも記憶の空白がありますので、昔を辿るのは屏風大のジグソーパズル、既製品ではなく、家族で著わす謎解きです。

祖父の母の通夜は昭和14年。既にお酒の入手は難しかったそうです。偶々浅草の親戚が伝書鳩に凝っていた、その縁で両国の料亭のご主人と懇意になり、わけてもらった薦被(こもかぶ)りは「お振り袖」相当額。両親の結婚は昭和17年5月ですから、締めつけと物不足はもっと深刻でした。しかし廃業させられていた祖父は、娘の結婚式を滞りなく済ませています。

祖父の遺品に「結婚式祝品寄贈芳名」と題した帳面が残っています。お祝いの品々は

桑製三尺鏡臺  桑製三尺針箱  朱研出し栗箪笥  桜材刳り火鉢
張交ぜ五尺二曲屏風半雙  小田巻呉服細工  鎌倉刻四尺卓
桑製手火鉢  桐製三味線箱  ラヂオセット  旅行鞄
銅製花瓶  小間紙入り手箱  絞り帯揚げ  宮古上布
漆器三抽出小箱  無地綸子縮緬  絹足袋・キャリコ足袋
携帯用抹茶器  松春慶塗菓子鉢  白絽  衣裳籠
女持洋傘  紙壱締、末広一對  草履  商品券
ハンドバック  文化洋装講座六巻  硯箱  有明スタンド
漆器飯櫃  風呂敷  小物入箱

現金は五圓~二十圓がほとんど。他に「米四升及びせんべい」のお祝いが印象的。

寄贈者には二見理千、杵屋佐次郎・六寿、花柳寿美輔、武藤などのお名前があります。他には白木屋(日本橋)、芙蓉荘(湯河原の別荘兼旅館)、「隣組第○○群一同」が目につきました。お返しは五圓十圓の「国債」が圧倒的。次いで鰹節と風呂敷でした。

……編集中記 【No.239】Aug 03, 1999  【No.245】Sep 22, 1999
……クリスマスの季節-14-



 1958 中央に父、奥に母

 1958 忘年会 左端に母

 1959 社員旅行 中央に父と母


1961 お客様(小売店)招待旅行 前列中央に父と母

……遠い昔の「舞台」写真より




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