三升の寿司飯(めし)
戦前も五月の一、二ヶ月に限り、新宿のTに苺のショートケーキが並んだそうです。新宿には長唄のお師匠さんの住まいがあり、Nの二階では料理も習っていましたので、苺の季節、このショートケーキが母の稽古帰りのお目当でした。
市川時代の、それも数年だけ、母は長崎カステラを作っています。もの凄~くよい香り! 後日、カステラは商売の進物用と判明。我々兄弟と、北側隣家のKちゃんと、ご近所の奥さま何人かは、そのおこぼれに与っていたのです。神田に越してからはカスタード・プディングが手作りの主役(夜業が続いても、母は食事と糠味噌を、お手伝い任せにしませんでした)。時に苺のブラマンジェ。いずれも戦前にNで作り方を会得。その一つ「ハンバーグ」を試食した祖父の店の番頭さん、ご自分の奥さんに「お前も作り方を○チャンに習いなさい」
前段の戦前の、新宿のTのショートケーキは、長唄のお師匠さんの住まいが番衆町に移ってからの話です。晴れた五月は、稽古を終え、徒歩でTに立ち寄りケーキを購入、市電で神田に戻りますと、祖父までが待ち構えていたそうです。
母の戦前の料理教室は二ヶ所、女学校五年の授業と、新宿のNでした。クラス六十人の、お料理はM先生(既婚女性)のご担当。M先生は和も洋も中華も得意。新宿のNの料理顧問。
お料理の授業に積極的な生徒はクラスでも十人ほどでしたので、鉄鍋で三升の寿司飯(めし)を炊いた時は、先生は味付けを母にやらせてくれました。卒業後、同級の生徒と、お料理を教えて下さいとお願いしたのも母です。それから一年、週に一回、ラード作りも、フランス料理も、マカロニも、ハンバーグもカレーもお菓子もと、まあ、当時ですから、解体されたままの食材を捌(さば)くことから始まったのでしょう、無論、お浚(さら)いも怠りなく。
新宿の教室は料理とお菓子のお店でしたから、加工したチョコレートの落としもタダで頂けた訳で、お土産が目当てじゃなかったのかなあ~、Nでの手習いは。
……クリスマスの季節-6-より
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