銭湯/明治生まれの商人の述懐
私の幼い頃は、泣き虫、湯嫌い、気難し屋、蕎麦好き。湯屋の敷居を跨ぐと泣き出し、湯上りの着物を着て外へ出るまで泣き通すので、母は湯嫌いを治す呪禁だとして、浴槽のザクロ口へお供えを上げた。
裏長屋に住んでいた頃の、私の楽しみは週に一度、夜業の後に、近くの蛇骨湯で入浴することであった。場所柄、蛇骨湯の終業は遅く、夜の一時頃、番頭が砂で流しを洗う時刻に入浴することもあった。
湯の帰りに夜店をうろつき、絵葉書を見るのも楽しみだった。日露戦争当時、絵葉書が熱狂的に流行ったが、戦争記念絵葉書は発行直後、右から左へプレミアム付きで売買され、絵葉書屋の夜店が至る所に現われ、様々な絵葉書を白い封筒に入れ、福袋と称し、一袋一、二銭で売っていた。大勢の人が押合いながら封筒を燈火に透かす、なかに優秀品が入っている袋があったので、私もそれを当てようと、湯の帰りに福袋を買い、封筒を破る一瞬が無上の楽しみであった。
商売をしていた頃の私は、起床後まもなく裁断屋へ出勤、裁断の手筈を決め、工場と職方への割当を考え、朝食を済ませ、店に坐って商いを監視しながら、絶えず仕入れと職方に応対、釦の数を計算、製品を収納、工料と仕入れ代金を支払い、毎月発行する商報の帯封を書き、それを三百六十五日繰り返していたが、夜業だけはやらぬ事にしていた。
毎日、昏方になるのを待ちかねて、銭湯に出かけ、その湯に浸かっている間こそ開放される時であった。湯の帰り、大きな月が昇った時なぞ、うっとり眺め、歌を考え、危うく自動車に挽かれそうになったり、立ち話なぞして遅く帰ると、留守に新製品が仕上がっていて、客が買いたいと願っても売り値がわからず、私の帰りを待ちわびていたりして、湯に行ったとて道草も出来ず、始終商売に監禁されているようで、時にはしみじみ、商売が嫌になったこともあった。
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