どっちでもいいや
【どっちでもいいや】
ある出版人が、いつもは手を加えない私の文章のたった一語を、仮に「上」としますと、著者の校正後に「下」と直したことがあります。その部分は一般には、昼を夜と書き違えたほどの誤字に思えたのでしょう。
届いた完成本を読んで驚きました。しかし「上」でも「下」でも、自分の意図をタダシク解釈できましたので、はは~ん、どっちでもいいや。
それからです、朝には「闇より光が好き」と書き、晩には「光より闇が好き」と書くようになったのは。
やはり昔、コニクラシイので小憎と書きましたところ、ある校正人に小僧と直されたこともあります。「お坊さんにはなんの恨みもありません。日本語の辞典はヘンです。コゾウは小憎です」と言いましたところ、校正人曰く「シマダサン、無知がわかってしまうのでおよしなさい」
我が家のコブシは、伸びすぎて家屋が没するのを避けるため、残念でしたが切り詰めました。
コブシは幹も枝も柔らかなので、鋏やノコギリで気持ちよく切れます。生長旺盛。根は太股のように盛りあがり、下植えのツツジやサツキを持ち上げてしまうほどです。
コブシ(辛夷)は拳、実の形が拳に似ています。
木を切るのは好きですが、木を切るのは嫌いです。
【キノコの栽培】
おはようございます。さて、昨日は雷雨を避けるため、出先をお昼すぎに立ったのですが
私の帰る先は国道50号を逸(そ)れて南東へ、雷さまの出かける先は50号の北側を東へ、ならば追いつかれる道理はない筈ですが、ナント、南西で発生した雷さまに先を越され、珈琲を飲んだドライブインから終着まで、土砂降りとの道行きになりました。
ふた昔前の夏休みには、常磐道で土砂降りに遭い、ガラガラの高速道路で、徒歩なみの低速走行も経験しました。
昨年の、佐倉(千葉県)からの帰りに遭遇した土砂降りは、道路が濁流に変わり、側溝との境がわからなくなりました。なのに、我孫子の道路は濡れ知らず!
ところで、車に生えるキノコをご存知ですか? そうです。生えたのです。これ以上書くと、車の手入れ状態がわかってしまいますので、皆さんも、秋になったら、その辺に生えているキノコで試してください。
【センセ】
嫌いなセンセ、私の場合はいましたです。苦手とは違うなあ~。大人はミンナ立派と思い込んでいた頃ですから、軽蔑という感覚とも違ったなあ~。避けたい、逃げ出したい、会いたくない、そんなセンセを嫌いという言葉でくくっています。
嫌いな子はいたのかなあ~。嫌われていた子の時代はあったですね~、センセから。多分、そうではなかったのでしょうが、小五までは、嫌われていると思っていた時代、長かったです。
当時は久しく、虚弱だった兄が同じ小学校で人気があって、母もその小学校からいろんな役を頼まれ、講堂で三味線を演奏したこともあったそうで(最近、知りました)、その母が私の孤立に気づいたのは、小四の学期末。センセ、母に言ったそうです。
「○○君には何も申し上げることはないです。ほんとうによくやります」と。いえ、お勉強ではなく、皆が嫌がる事、例えばお掃除を、よくやったという意味でした。
そう、女の子はお掃除の分担を終え、男の子はふざけてサボっていた時、校庭に出て遊びたかった私一人で残り部分を掃除したのに、オンナの子がセンセに「男の子、サボってる」と告げ口をしたのでしょう、突然現われたセンセ、ほかの男の子には目もくれず、つかつか歩み寄って来て、私を皆の前で難詰しましたです。生憎、お人好しでなかった私は、さっさと帰って・・・、不登校ではないんです、登校を拒絶したんです。
私、できる子じゃなかったです。教室で指されると、発育不全もあったのでしょう、呂律がまわらず立ち往生。その時の屈辱感、穴がなくても目の前真っ暗。そんな時のセンセの、ある種の表情が厭で嫌いで、センセという存在そのものが苦手でした。難詰された時の気持ち、憎しみじゃなくて悲しみでした。
このお話、書くたびに哀しくなります。でもね、小六の女のセンセ、サッパリしてカラッとして、エガッタナー。
……散歩者の夢想ML短編集より
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