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2005-02-18

故郷って、いいですね

手作りの絹の名刺入れに祖父の名刺が残っていました。「仕立物卸商」とありますので廃業前でしょう。住所欄には

店舗 東京市神田區○○町○番地 電話浪花二九八八
居宅 東京市大森區大森三丁目○番地 電話大森五〇六六

名刺入れの脇には朽ちかけた文集も。ガリ版刷りです。奥書には小学校の名前と昭和二十九年三月。小三の学期末。

・・・赤いチューリップの花びらをみては、あるいは朝、すずめの声を聞いては、次々と詩らしいものを作り始めて二年三年、近頃は宿題の作文も苦にならぬらしい。・・・・・・。ようやく春の彼岸を迎えようとする庭の片すみに、たおやかな雪柳の白い花が目立ってきました。そのそばに、さっきからしゃがんだ子が何やらひとりごと、私がガラス戸を開けたのも気づかぬ様子、何を考えて居るのかしら。こんなおりおりに出来た詩や、実生活から着想したいかにも自然な作文の数々・・・

老いの繰り言だろうか。濡れそぼつ梟の逃避だろうか。我が道なんて本当にあるのだろうかと、自らも疑っていました。

老いは本当です。濡れそぼつも本当。作文の成績は芳しくなかった(とも書かれています)。でも、これからは何を言われてもアッケラカンとしています。

面識のない人が祖父の名刺を見れば、祖父一家が大森に住んでいたと思うでしょう。しかし、祖父が大森に泊まったのは月に二、三日。書庫で読書が目的。普段お付き合いしている人は、祖父一家の実際の住まいが判っていましたので、名刺に居宅の住所を刷ったのは見栄、あるいは牽制。

何人かの他人の目を、意識させられていたのです、祖父は生い立ちゆえに。母の女学校時代も、山の手と下町の敷居が天真爛漫を妨げ、私には背筋がムズムズするような話法で武装。富裕で知られた九段の女学校に通った縁者も、その敷居ゆえに差別された経験も。

風光明媚な土地でふつうの民家に住まえば、落ち着きも安らぎも得られるでしょう。問屋街の商家住まいとは落差が大きい。得意先招待旅行、従業員慰安旅行、仕入先との親睦旅行、紡績の招待旅行、家族旅行などなど旅行の写真はどっさりでしたが、草花が咲き、澄んだ小川に恵まれ、梨づくり農家の末子として、富士の裾野を眺めながら育った父には、神田の商家はあまりにも狭かった・・・

父の父親の死は突然でした。早朝、電話で知らされましたが、父も母も仕事の都合がつかず、お墓に花を手(た)向けたのは一週間後。

祖父が亡くなるまで、父は我々家族を伴い何度か実家を訪ねています。故郷って、いいですね。

…… クリスマスの季節-13-より

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