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2005-02-17

三曲糸の調

祖父が武藤様とお呼びし、最近まで母姉妹が初代と思いこんでいた「佐吉さん」というお方は、四世杵屋佐吉(1884~1945)を指しています。両親が宿泊した湯河原の旅館兼別荘の名前「芙蓉荘」も、長唄芙蓉会に因んだものと思われます。四世杵屋佐吉は長唄の歴史に残る人物と聞かされておりますが、長唄はもとより、芸事一切に無知な私は、その重みを理解する力がありません。

芙蓉荘での朝の件は、寡黙な父と、人前では極端に口数が少なかった母との取り合わせですから会話が成り立たず、心配した祖父が草加煎餅を託して、佐次郎さんに様子見をお願いした事情があります。宿泊した翌朝、障子を開けたところ、庭を隔てた向かいの部屋に、佐吉さんと佐次郎さんの心配そうな顔があったそうです。

お浚いでは、お囃子は太左衛門さん(九世望月太左衛門、1902~46、望月は長唄囃子方の名門)に決まっていたそうです。一方、伊十郎さん(七世芳村伊十郎、1901~73、歌舞伎長唄界の唄方第一人者)は、伊四郎さん時代は兔も角、名取りでもない母に合わせて唄ってくれたのは異例だったと、母の妹さんも語っています。お二人はとても上品で、太左衛門さんは見るからに温厚な方、伊十郎さんは、佐次郎さん宅に出かけた夜、佐次郎家お手伝いの娘が焦がれて、枕を抱えて寝たほどの人気でした。

佐吉さん亡き後の昭和25年、戦後、最初に開いたお浚いで、母は頼まれ、佐次郎さんと唄方二人の四人で「三曲糸の調」を演奏しました。しかし、引き続き佐次郎さんが依頼に来られた折は、繊維問屋「内紛」の壁が立ち塞がり、母は舞台に立つことが出来なくなりました。

母は七十九歳の今も仕事の合間に、たった一人で「三曲糸の調」を弾くことがあります。

……舞台写真の注記より

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