梅ちゃんは怯えてしまい被服廠方面へ
【薬缶】両国回向院の、祖母の実家の法事に参加したのは、祖母と、母の姉の梅ちゃんと、母の三人でした。丁度お経が終わった時、祭壇の飾りが倒れ、軒先に御堂の瓦が雨のように降ってきました。ひどい揺れが収まってから、実家の人々は浅草へ、祖母は二人の手を引いて神田の店へと急ぎました。
梅ちゃんは怯えてしまい、被服廠(徒歩十数分)方面へ行こうとするのを、祖母が強い調子で呼び止め、足を早め、神田の店(徒歩二十数分)へ引き返しますと、店は瓦一つ落ちていません。大振りの銅(あか)の薬缶を回しながら、従業員は炊きたてのご飯をかけ込んでいましたが、祖父は家族の顔を見てようやく人心地。
火の手は店の並び、五、六軒隔てた洋食店から上がりましたが、従業員各自に避難を命じ、祖母が子らと一緒に草加(祖父の母の郷里)へ向かったのは午後の三時。しかし避難する人々が溢れ、神田川(店から二百メートル)まで歩くのがやっとで、家財を荷車ごと神田川に投げ捨て、皇居の二重橋前広場(徒歩約三、四十分)へと向きを変え、日比谷公園近くで一晩野宿。その折、商売にならないからと、無料で配給してくれたパン屋さんがありました。翌日、祖父の母(八十歳まで生存)の案内で草加着。
一方、祖父は祖母とは別に、神田の店に火の手が迫ったのを確かめてから上野公園へ避難、祖母の母親と偶然出会って、焼け残った職方の家に厄介になり、遅れて草加に着きました。店舗の復興には、草加の大工一家が力になってくれましたので、震災直後の問屋も、昭和初期の店の建て替えも、戦後の店のバラックも本建築も、縫製工場の建物も、この大工一家に頼むことになります。
……遠い昔のこぼれ話より
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