2012-05-20

鋸山の採石跡

19日は金谷側から
鋸山の石切り場跡と地獄のぞきへ
今の体力に合わせ2時間程度

鋸山 のこぎりやま 329m
日本寺 にほんじ

百尺観音や地獄のぞきは日本寺の境内です
金谷側から歩いた場合は
日本寺の北口管理所(名勝拝観受付所)で
拝観料を支払って

石切り場跡へは ← 休憩所があります
日本寺の北口管理所の
手前数百メートルの分岐から往復しました

私の車はJR内房線の
浜金谷駅から登山口方面に少し歩いた
笹生精肉店の有料駐車場に ← 店の裏に数台分

鋸山山頂部のギザギザは採石跡が連なったもの
地獄のぞきなどいくつかの展望台も
採石跡の頂上部に金属の柵を設けたそんな印象

ハイキング路の緑が濃く爽やかでした

大きい画像は
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 登山口は精肉店の角を左へ

 JR内房線のガード下を抜けて

 金谷・鋸山ハイキングマップ



 ハイキング路 道標が各所に

 観月台から金谷港と浦賀水道

 観月台から鋸山の頂上部



 写真中央に展望台の柵



 石切り場跡

 石切の歴史

 石切り場の古い岩肌



 日本寺の百尺観音



 展望台の一つ「地獄のぞき」

 柵はしっかり

 頂上部の展望台は数ヶ所

 展望台の一つから保田方面



出かけた石のミュージアムはほかにも

STONE PLAZA 那須芦野・石の美術館
栃木県那須郡那須町
2006年

 化石

 寄居地区の採掘場



石の百年館(稲田石資料館)
茨城県笠間市
2006年

 石の百年館

 館内

 拡大

 拡大

 資料館近く



大谷資料館(大谷石地下採掘場跡)
栃木県宇都宮市
2008年



19日の鋸山に続いて
26日は伊予ヶ岳へ ← 2012年5月

伊予ヶ岳 いよがだけ 337m

鋸山も伊予ヶ岳も房総半島の山
鋸山は富津市(ふっつし)と鋸南町(きょなんまち)
伊予ヶ岳は南房総市

鋸南富山ICから県道89号を経て
平群天神社 (へぐりてんじんじゃ) へ
天神社の境内に手洗いと登山者用駐車場
道標を頼りに伊予ヶ岳の北峰まで
往復1時間半程度


 天神社(平群天神社)

 伊予ヶ岳への登山道にて

 登山道から

 登山道途中の展望台から

この展望台すぐの道標脇に
『ハイキングコースはここまで
この先は危険なので注意して下さい』
と記した板


 濡れていると滑りそう

 落石に注意

 伊予ヶ岳の山頂

 山頂にも毛虫がモゾモゾ

杭で群れていた数匹を
気づかず掴んでしまいましたが
フワッとした毛の感触だけで
痛みもかぶれもなかったです
裾に付いた一匹は車の中まで


 山頂から北峰

 北峰から山頂

 北峰から富山 (とみさん 350m)

旧・富山町の富山は「とみやま」
旧・富山町の山の富山は「とみさん」

 左端に山頂 北峰から



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2012-05-03

入院メモ 2012-05-03

 携帯電話のカメラで

今回は自分自身の入院です

3泊4日の生検後
手術準備の各種検査と
輸血用に自己血を二度採血
母をショートステイに送り出し (4月13日~5月7日)
4月16日に入院しました
入院日とその翌日は
器具を用いて手術前の呼吸訓練
食事は4月17日の昼まで
同日午後
下剤1.8Lを2時間かけて飲み
夜9時からは水も禁止 (絶飲食)
4月18日は
血栓予防の靴下とフットポンプを着け
手術室で全身麻酔 (正午)
目覚めたのは夕刻だったそうです (5時半頃)

癒着も転移もありませんでした
体には酸素マスクと
鼻から体内への管
点滴の管 (一、二本)
痛み止めの管
血抜きの管
そして排尿の管
必要なかった自己血は体に戻したそうです

手術の翌日 (4月19日)
鼻からの管と酸素マスクとフットポンプを外し
一般病室へ移った夕刻から
管を四、五本着けたまま歩行開始
血栓予防の靴下を脱ぎ (4月20日)
普通食再開 (4月22日昼から)
痛み止めの管を外し (4月23日)
排尿の管を引き抜き (4月26日)
院内から母のショートステイ2日延長を電話で依頼
階段歩き開始 (4月28日)
血抜きの管引き抜き (4月29日)

飲み薬は入院前も今もゼロ
視力は未だに眼鏡要らず
親知らずと
中学時代に事故で失った一本を除き歯もほぼ健康

退院後は母を車椅子へ移すことも
車の運転も問題ないということで
院内から
母の往診、訪問看護、訪問医療マッサージ、
訪問入浴、デイサービスの再開日確定連絡
手術前に考えていた訪問介護は
今回も必要なさそう

体重は手術直後 2.0kg減
5月2日 0.7kg回復

血抜きの管の跡が
完全に塞がった2日後に退院しました (5月3日)


 

 どちらも5月3日


4日は自分の運転でショートステイ先の母に会いに
家事も介護も優れたリハビリ
ショートステイの2日延長は要らなかった?

家に帰りたい! ← 2日の夜の母のつぶやき
家に帰る! ← 点滴を抜いてしまった卒寿の患者

5日から朝の散歩 ← 一時間と少し
昼は清水公園 ← 臨時駐車場も満車の賑わい
午後、雪用タイヤから普通タイヤに交換を予約
持ち込むタイヤを積み込んだところ
車椅子移乗の不安も消えました


 清水公園 5日


6日の朝は散歩とジョギング
ジョギングは歩くより遅かった
昼は常磐道を経て筑波実験植物園へ
帰りは外環道まで戻り
ショートステイ先の母を訪れ
軟膏類を補充
着衣を入れ替え


 筑波実験植物園 6日


7日から母の家で寝泊まり再開
筋力と持久力も日増しに快復
9日はショートステイを終えた母を受け入れ
深夜も介護生活 ← 母は要介護5 身障者1級

母の家が「母屋」です
離れは隔週二日のデイサービスと
隔週三泊四日のショートステイ
毎週末は一泊二日で我が家へ移動
我が家の母の寝床はカミサンが工夫
カミサンも自分の母親を通いで介助

介護する人も寝起きする部屋も
家ごと施設ごとに違いがあります
移動時の車窓は好奇心の宝庫
違いや変化が刺激になって
母の晩年を支えています


 あしかがフラワーパーク 12日


11日の母はデイサービス
12日は母を我が家に移してカミサンに託し
私はリハビリを兼ねてあしかがフラワーパークへ

その朝は母の笑い声で目覚めました
車イスへ移乗の際は母も一緒にヨイショの掛け声

今の私は病床で寝たり起きたりの静養期間
介護がなければ自分でもそうだったと思っています
しかし麻酔から醒めたとき
最初に浮かんだのは介護再開の日程でした
全介助に「待って欲しい」は通用しません
私の復帰が遅れると皆が混乱
介護サービスの
利用者全額負担分も増加します

13日の朝は我が家周辺を走ってみました
体を手当しながら歩く速さで
入院前の距離は完走しました
先と思っていた山歩き
近く再開できるかも


 私の走路周辺

 ← 加工した画像


16日は車坂峠から黒斑山へ
体を手当しながら3時間ほど歩いてみました
運転は往復とも手術前と変わらず
山歩きの脚力と持久力はまだまだこれから

17日は退院後最初の診察日 ← 退院は3日でした
山歩きも病院通いも母のショートステイに合わせて

母の介護サービス利用状況 2012年
 支給限度 利用状況(単位)
1月 35830 26400
2月 35830 26300
3月 35830 29500
4月 35830 38000 ← 限度を超過
5月 35830 34500

当月の「余った単位数」は
翌月に繰り越すことはできません
4月はケアマネさんがやり繰りしてくれましたが
それでも限度を越えてしまった介護サービス分は
100%利用者負担に ← 限度超過単位数の10倍

さらに例えばショートステイは
介護サービスの利用限度内であっても
介護サービス対象外の支払いが加算されますから
母のショートステイは平月約15,000単位利用して
支払額は平月50,000円ほど

私が入院した4月の母のショートステイは
限度内利用分30,000単位と限度超過分2,000単位
つまり想定支払額は100,000円と『2,000の10倍』円
実際の請求額は129,000円でした
勿論、母の家の維持費と租税は別に発生 ← 負担大

私が退院した今月も
母のショートステイ利用は平月より多いです
介護者が倒れると金銭の負担が跳ね上がります

母が利用する介護サービス合計は
6月からは26,000~29,000単位に戻る筈
また戻すように工夫します

写真↓は16日の車坂峠~黒斑山にて



17日の診察でも
腫瘍は手術ですっかり摘出 ← 再確認
照射も薬剤も必要ありません
手術箇所の筋力回復には多少の時間
それもやがてよくなるとのこと

あちこちガタがきていますので
今だけの話ですが
薬も制限も何もない
普通の暮らしに戻れました


介護メモ



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